第一章 第九話

「今回ばかりは黙ってはおれません!なんて無茶をなさったんですか!!」
 の屋敷で、ははなからお説教を食らっていた。
 あの日、おそらくは失血のため意識を失ったは、一郎によりの屋敷へ運び込まれ、次に気が付いたのは丸二日たった後だった。の予想通り肋骨が折れていて、熱がひどく、死線を彷徨っていたらしい。薬師の心得があるはなの見立てでは、もう少し手当が遅ければ助からなかったとまで言われた。
 体中が包帯と薬だらけの状態ながら、とりあえず起き上がるまでに回復したは、用意された薬湯をちびちびと飲みながら、はなのお説教を聞いていた。
「まぁまぁはなさん、さまだって悪気があったんじゃないし、ちゃんとこうして生きて帰ったんだからいいじゃ」
「よくありません!!」
 なだめようとした一郎は、逆に火に油を注いたようだ。
「だいたい東山様、あなたが付いていながらどうして様がひとりで独眼竜と相対するような事態になったのです!」
 それはわたしに原因があるのだが、と心の中で思いながら、は苦い薬湯と戦っていた。
 一度火のついたはなは、気が済むまで言わせてやる以外になだめる方法がないことを、はよく知っている。
「――聞いておいでですか様!」
「ぅ、はい」
 てっきり一郎に矛先が向いたのかと思ったら、こちらに戻ってきた。
「お顔に傷を作るなんて、――あぁなんてことでしょう!」
「大丈夫だよ、前髪で隠れるし」
「そういう問題ではありません!」
 あの日、伊達政宗の刃はの額を縦一線に割っていた。
 傷は浅く、それ自体が致命傷にはならなかったものの、満足な止血や消毒もせず倒れるまで放っておいたことがよくなかったらしく、出血は止まった今でも、額に巻かれた包帯の下ではくっきりと傷の痕が残っている。
 額と言わずとも、の身体にはこれまでの稽古や戦で負った傷痕が数多く残っているのだが、今回は顔の傷だからか、はなの動揺は激しかった。
「顔の傷など・・・・・・、わたしの顔など、些末なことだ。はなさんが気に病むようなことは、何もないよ」
 なんとか薬湯を飲みきってはそう言ったが、はなは目を赤くして頭を振った。
 そして床から半身を起こしているを抱きしめる。
「いいえ、いいえ。お顔もお身体も、些末だなんてそんなことはこれっぽっちもございません」
 そしてはなは両の手での肩を持ち、その眼をまっすぐと見つめた。
「ご自分を大事に扱ってくださりませ」
 否とは言えない眼だった。
「そう、だな。・・・・・・わたしはこの血を守らなければ、ならないし」
 うなずいたのに、はなの表情はどこか晴れない。
 この手の話をするのは、初めてではない。
 は昔からあまり自らに頓着せず、それが捨て身とも言える稽古につながって、よく大きな怪我をした。
 そのたびにはなは今と似たような顔をして、自分を大事にしろと言う。
 今は、理解しているつもりだ。
 この身は家を繋ぎ、ひいては北条家を守るためにある。
 だから、命を捨てようと思ったことはない。
「・・・・・・とりあえずはそれでもよろしゅうございます。本当は、ご自身で、ご自分を大切にしていただきたいのですが」
「・・・・・・」
 はなが何を言っているのか、にはよくわからず、不意に思い出して話題を変えた。
「はなさん。あの、手拭いは」
「あぁ、あれでしたら、こちらに」
 が意識を取り戻して、最初に言った言葉が「手拭いを洗ってくれ」だった。
「ほとんど真っ赤でしたから、常ならば捨ててしまうところでした」
 そう言ってはなが持ってきた手拭いは、元通り、白くなっていた。
「あぁ、さすがははなさんだ・・・・・・よかった」
「ずいぶん生地のしっかりとした、良い手拭いですね。おかげで汚れも、すっかり落ちました」
「それ、さまのじゃないよね?どーしたの」
 覗き込んできた一郎を、じろりと見つめる。
「お前はわたしの持ち物をすべて把握しているとでも言いたいのか」
「え?まーだいたいね?」
「東山様、からかうんじゃありません」
 おどける一郎をはなが窘めた。
「『幸』と刺繍がありますね」
「あぁ・・・・・・借り物なのだ」
 は思いを馳せる。
 あの緋色の背中、曇りなき眼、黄金色の炎。そして戦場らしからぬ、表情。
 ――変わった男だった。
 だが命を助けられたことは事実である。
「また、会うことがあれば」
 あるいはそこは戦場かもしれないが。
 彼にだけは奇襲をかけず、手拭いを返して礼を述べたうえで、戦うことにしよう。
 は手拭いの「幸」の字を見つめ、そう思った。

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20120529 シロ@シロソラ
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