第十三章 第三話 |
かすがを呼び出そうと鴉に文を付けて届けたら、「お前が来い」というぶっきらぼうな返事が返ってきたので、佐助は今、指定された春日山城本丸を囲む森の、杉の枝にぼんやりと佇んでいる。 城にほど近いそこからは、木々を隔てた向こうに、ぽつりと作られた庵(いおり)が見える。噂には聞いている、あれが今の軍神の住処だ。 信玄が身罷って以来、上杉謙信はあの庵に籠り、ほとんど外に出ないのだという。軍神らしい、静謐とした空気が漂っていた。 ――このあたりには、麓のような罠はないようだ。 視界を巡らせてそう判断し、佐助はこつ、と頭を幹に当てた。 罠を仕掛けること自体は確かに忍びの術であるけれど、麓のあれは純粋な忍びのものではないと、佐助は考えている。 毒や煙玉は使わず、なるだけ森に在る物で作られ、そしてその仕掛けは使われようが使われまいが、時間がたてば土に還る、あれは、森をよく知る者のやり方だ。 ――佐助の得意のやり方、でもある。 少年時代まで、佐助の生きる場所は信濃戸隠の森そのものだった。草木や生きものに精通し、木々の間を自在に跳ね回る。罠は食糧を獲るために仕掛けるものだった。後に幸村に拾われて、忍びとしての修業を積んだのだが、それでも身体に染みついた癖は残った。気配の殺し方も身のこなしも、森に教わったようなもの。 あの、麓の森の罠からは、己と似たにおいを感じた。 軒猿と呼ばれる上杉の忍びは、いずれも上杉家が契約している忍びの里から雇っているはず。そして佐助のような例外を除けば、里の忍びは赤子のころから忍びたるべく養育されるものだ。だから、あの罠の仕掛け主は軒猿ではないと、佐助は考えていた。 だとすれば、あの麓の屋敷にいる忍びは、何者なのか。 ・・・・・・それを聞くためにわざわざここまで来たわけだけど、それにしても。 佐助は一つ息を吐いて、瞼を降ろすと周囲の気配を探る。 まさかこんな奥深くにまで招き入れられるとは思っていなかった。何しろ軍神の眼と鼻の先である。気配を辿れば、そうと悟らせるために発せられている殺気が己を取り囲んでいるのがわかった。下手な真似をすれば即刻四方八方から刃が飛んでくることだろう。流石の佐助も敵地のど真ん中から無傷で帰れる自信はあまりない。何しろ相手は軒猿の中でも軍神の警護にあたる精鋭、そして。 生まれた気配を感じ取って、佐助は瞼を持ち上げた。 「よ」 ちょうど間合いの外、佐助と向かい合うように木の枝に姿を現したかすがに、佐助は気安いしぐさで片手を上げた。 相変わらずの仏頂面で、かすがが口を開く。 「姫が失踪したと聞いたぞ。こんなところで油を売ってる場合か」 忍びにはきらびやかすぎる金色の髪が、薄く差す弱い陽の光を吸って、白く霞むようにたなびく。 このくのいちには、雪景色がよく似合う。佐助はいつも、そう思う。 かすがは綺麗だ。密儀という、その技も相まって、煌々と輝いて見える。忍びであるからにはその手が汚れていないはずはないのだけれど、それでもどうしても、綺麗なのだ。 ・・・・・・などと考えていることはおくびにも出さず、佐助はへらりと笑った。 「それもあって聞きに来たの。今度は答えてもらうぜ、なりふり構ってる場合じゃないんでね」 「何だ」 意外にも素直にかすががそう言うので、佐助は眉を持ち上げた。 上杉の混乱に放り込まれたこちらの窮状に、同情してくれているのかもしれない。その考えこそが、かすがのあまり忍びに向かないところではあるのだけれど。 不思議では、あった。かすがの生い立ちを佐助は詳しく知っているわけではないが、少なくとも彼女は自分と違い、幼少のころより忍びになるべく育てられたはず。なのに彼女はどこか、「人間」じみている。 「そっちにお前くらい腕の立つ奴が他にいるか?軒猿じゃないかもしれない、流派はたぶん我流に近いと思うんだけど」 聞くと、かすがはどこか苦い表情で答えた。 「・・・・・・いる。景虎様付きの忍びだ」 「やっぱり」 その一言で、佐助は納得する。上杉の軒猿ではなく、景虎に従属する忍び。間違いなく、あの森の罠を仕掛けた張本人だ。 頷いてから、もうひとつ、佐助は疑問を口にした。 「――あとさ、何でお前は動いてないの」 「謙信様の命だ」 「ま、そりゃそうだわな。じゃあ、なんで軍神は動かない?このお家騒動、そもそも軍神がどっちか指名すりゃ完結する話だろ」 群雄割拠の乱世である。いつ外敵が現れるかわからないのだから、どこの家だって家中の争いは避けるものだ。それでも起こってしまうのがお家騒動というものだが、それにしたって家長が健在ならいくらでも止める手段があるはずだった。 だから佐助は、そして直接口には出さないがおそらく幸村も、何故上杉謙信が動かないのかと考えている。 まさかあの軍神が、好敵手を喪って、本当に腑抜けてしまったとでも? 「・・・・・・そうでもない」 わずかに眼を細めてかすががぽつりと言った。 その表情を見て、佐助はゆっくりと瞬きをする。 「へェ?」 「確かに謙信様が今ひとこと仰れば収まる、表面上はな。だが一門の争いは根深い、このままにしていればきっとまた同じようなことが起こる。だから謙信様は見守ってらっしゃる。景勝様と景虎様が、自分たちでけりをつけるのを」 「なるほど、獅子は子を崖から落とすってか。やることがえげつないねぇ」 崖を昇って来れた子だけを育てるという、獅子に因んだ故事を思い浮かべて、呆れたように佐助が言えば、かすがの双眸がぎらりとこちらを射抜いた。 「謙信様を侮辱するな」 いや侮辱したつもりはさらさらないんですが。 言ってもどうせ聞き入れてはもらえないので心の底でこっそり呟いてから、佐助は一度嘆息した。 そして、かすがを見つめる。 どこまでも「人間」らしくて、真っ直ぐで、綺麗で。 「・・・・・・そんなにいいかい、軍神の傍は」 そもそもは上杉謙信へ向けられた刺客であったかすがは、忍びの里を裏切ってまで、彼の軍神の傍に在ることを選んだ。 先述の通り佐助は元々その里で生まれ育ったわけではないからあまり五月蠅い指示も無いが、今でも彼女を裏切り者として処断せんとする動きは絶えないと聞く。 ずいぶんと分の悪い賭けに出たものだと、佐助は思う。 雇われの忍びが自ら主を選ぶなど、聞いたことが無い。本人にも何度となくそう言った。慕情なんぞで忍び働きが務まるはずがない、いつか身を滅ぼすことになると。それでもかすがの意思は変わらなかった。 「・・・・・・お前は違うのか」 かすががそう言って、こちらを見据えた。 その言葉に、佐助は思考を中断して首を傾げる。 「は?」 「お前があの若虎の傍にいるのは、其処がいいからではないのか」 たたみかけるようにそう言われて、佐助は口を噤んだ。 脳裏を、戸隠の森が、過ぎる。 ――『お前は猿のように自由に飛びまわるのだな!』 夏の終わりだった。 何をしでかしたか猪に追われていたのを、偶然、気まぐれに助けた、まだまだ子どもと言える年恰好の少年が、そう言ったのだ。礼がしたいから名を教えろと。佐助、と答えたら、その少年は真っ直ぐとこちらを見て、笑った。 春のお日様みたいな、笑顔だった。 ――『ならば今日より、猿飛を名乗るといい。猿飛佐助、よろしくな』 その少年が、佐助にとっては初めての、「猿」には見えない人間、だった。 「・・・・・・」 口を閉ざした佐助を一瞥してから、かすがは小さく鼻から息を吐いた。 「――今回、私たちや雪組はどちらにもつかない。謙信様の身を守ることしかしない。だから私はお前を助けない」 雪組とは、上杉謙信直属の親衛隊だ。それはつまり、上杉謙信自身がこの諍いには関わらないということを表している。 古い記憶を頭から消し去って、佐助は眉を下げた。 「へいへい、ま、がんばりますよ」 「忠告だ」 付け加えるように、かすがは言う。 「景虎様の忍び、加藤段蔵は、お前によく似ている。・・・・・・せいぜい気を付けろ」 「あらら、かすがが心配してくれるなんてこいつは明日は槍が降るねェ、っと」 冗談めかして言えば、眼前をクナイが掠めていった。 |
20131107 シロ@シロソラ |
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