第十一章 第九話

 唐突に視界を遮った闇色に、小介はもちろん見覚えがあった。
 真田忍びは、この闇を見間違えない。
 長が、戻ってきたのだ。
 ならばきっと、主も。
 ・・・・・・もうちょっとやらせてほしかった、なんて。
 まだ、戦える。
 足が思うように動かなかろうが、槍が片方しか無かろうが、それでも、まだ、戦える。
 頭では、そう思って、いるのに。
「ようやった、小介」
 その声に、小介はがくりと、膝をついた。
「ゆ、きむら、様・・・・・・ッ!」
 認めたくない。どうしても。
 ――主の姿に、安堵したなどと。
「も、申し訳ありません、俺・・・・・・っ」
 よい、そう言って、小介の眼の前に同じく膝をついて、こちらに向けてくれる、笑顔。
 ああ。
 同じ顔なのに、同じ姿なのに、――こんなにも、遠い。
「手傷はその頬だけか?」
「・・・・・・はい」
「わかった、後は俺に任せよ。――甚八」
 幸村の呼ぶ声に、幸村の二槍を携えて、甚八が姿を現した。
 主の意図するところを汲み取って、その場に槍を置くと、クナイを手に取る。
「御免」
 幸村が甚八のほうへ顔を向け、甚八は躊躇なくクナイを振るった。
 視界を鮮血が散って、小介は眉間に深く皺を刻む。
 幸村の頬に、小介の頬と同じ長さ、同じ深さの傷ができた。甚八の腕は、いつも正確だ。
 頬に手をやり、手甲に付いた血を確認して、幸村はひとつ頷く。
「よし、では甚八、小介を頼むぞ」
「は、」
 クナイを仕舞った甚八は二槍を幸村に手渡してから、小介の二槍を片手に、小介の身体を肩に担いで姿を消す。
 それを確認してから、幸村は視界を遮る佐助の闇の向こうを見据えて、口を開いた。
「――よい、佐助」









 幸村が戻った以上、小介をこのまま城に戻すわけにはいかないので、甚八は小介を担いだまま、忍びが使う小屋を目指して山中を駆けている。
 しばらくなされるがまま、ぐったりと甚八の肩に身を預けていた小介が、のろのろと言った。
「つうかさ、こんな荷物みたいに俺を運ばないでくれないかな」
「・・・・・・」
「もっとこう、大事に抱きかかえるとかできないわけ?」
「・・・・・・」
 甚八の返事は無い。
 舌打ちをして、小介は大きく息を吐く。
「っあー・・・・・・、やっぱぜんっぜん敵わねェなあ、悔しいなー・・・・・・」
 その声に、甚八は前を見つめたまま、ぼそりと言った。
「・・・・・・お前は、よくやった」
「うるっせえよ労う気があるんなら抱かせろ」
「断る」
「ンだと?こっちがお断りだお前みたいな唐変木ー!!」









 幸村の構えた槍に、炎が撒く。
 火の粉が散るのを見て、伊達政宗がその隻眼を細めた。
「聞いたぜ?石田三成と同盟を結んだってなァ?」
 伊達政宗は、刀を抜いていない。その真意を測りかねて、幸村は二槍を構えたまま、動かない。
「気が知れねぇな、よりによってアンタが凶王と手を結ぶか」
 その声色に、明らかに含まれた嘲りを感じ取って、幸村は穂先を降ろした。
「・・・・・・左様にござる。・・・・・・貴殿は徳川殿と同盟を結ばれたとか」
 伊達政宗は答えず、わずかに肩をすくめる。
「ひとつ聞くぜ。アンタは何故、槍を振るう」
 問いに、幸村は右の槍を振るった。炎の軌跡が、紅の色に光る。
「それは、この幸村が望む世のため!」
 ぐっと腹に力を籠めて、幸村の双眸は独眼竜を見据える。
 しばらくそれを見つめ返して、伊達政宗は嘆息した。
「Ha、そりゃ大きく出たモンだ。――ならアンタの望む世ってのは、家康のそれとは相容れねぇか?」
「それは、どういう」
「アンタは何故、家康を目指す」
 稲妻の光を宿す隻眼が、ただ静かに、幸村を見つめる。
 さきほどまでの、嘲りの表情は、無い。
 幸村は視線を外さぬまま、口を開く。
「・・・・・・それは、お館様が彼の男との戦いを望まれた故、そしてお館様が何を持って彼の男と戦わんとしたか知るために」
 かつて信玄の采配のもと、武田軍は徳川家康を打ち破ったことがある。
 そのとき、しかし信玄は、まだ年若かった徳川家康の首を取らなかった。
 何故なのかと、当時幸村も、信玄に問うたのだ。
 ――『あの男は、今に大きゅうなるぞ』
 そう言って笑う、それが、信玄の答えだった。
 あの言葉の意味するところを、幸村は信玄の口から聞くことは、――ついに、できなかったのだ。
 だから。
 あの男と戦うことは、「お館様」の、武田の宿願であり、そして己が学び、成長するための糧である。
 全ては、己の望む、世のために。
「・・・・・・、やめた」
 そう言って、伊達政宗は踵を返した。
 驚いて、幸村は一歩踏み出す。
「政宗殿!?」
「今のアンタを殺すのは容易いが、そんな気合いのねェ炎を斬ったところで竜の爪が泣くってもんだ」
 背を向けられたままそう言われて、幸村は眉を跳ね上げる。
「待て、独眼竜ッ!某では相手にならぬと、そう申されるかッ!!!」
 踏み出した足で地を蹴る。
「伊達政宗ェッ!!」
 業、と音をたてて炎が勢いを増す。間合いを詰めて振り下ろした矛先を、伊達政宗は抜刀の刃で振り返りざまに受け止める。
 耳を劈く、刃と刃が擦れあう音。
 押しきれるかと、力を籠めたところで、
「!?」
 ふ、と穂先にかかっていた力が失せる。伊達政宗が身を反転して、幸村の槍をいなしたのだ。
 目標を見失った穂先に引きずられて、幸村の体勢が崩れる。
「ッく!」
 無理やり上体を捻って槍を振るう、しかし伊達政宗の刀の方がわずかに速い。
 決定的な隙に、しかし伊達政宗は刀を退いた。まるで興味が無いとでも、言うように。
「・・・・・・おキレイな建前を吐く前に、よく考えるこった」
「ッ!」
 ざっ、と土を蹴立てて幸村が着地する頃には、伊達政宗は馬に跨っていた。
 冷めた眼が、幸村を見下ろす。
「俺が見たいのはそんなカラ元気じゃねぇ。俺を倒したいンなら、せめて『さっきまでのアンタ』程度には燃えてからにしな」
「!」
 眼を見開いた幸村を、それ以上見ようともせずに、伊達政宗は馬の腹を蹴る。
「行くぜ小十郎」
「は、」
 傍で控えていた片倉小十郎が「てめェら!」と声を上げ、奥州筆頭の背に続いて兵たちが引き揚げ始める。
 それを見つめながら、幸村はがつりと地に槍を突き立てた。
「・・・・・・ッ」
 何も言うことができず、ただ去りゆく宿敵の背を見送ることしかできず、幸村は唇を噛む。
「・・・・・・つうか何しにきたワケ、あいつ」
 いつの間にか傍らに佐助の姿があって、伊達軍の方を嫌そうに見てから、幸村の方を見た。
「ま、とりあえずは民も城も守りとおした、結果としてはよかったんじゃないの」
「しかし、」
「今回は俺様も読みが甘かった、反省してる」
 佐助の声に、幸村は一度眼を閉じて、息を吐いた。
「・・・・・・いや、お前も以前言っていたろう、先を読むのは、考えるのは俺の役目だ」
「わかってンならよろしく頼むよ、がむしゃらに前だけ見て突っ走りゃあいいってもんじゃないんだ」
「うむ・・・・・・」
 浮かない様子の幸村を見て、佐助は眉を下げてから、声の調子を軽くした。
「ところで大将、さっき鎌之助から定時報告が届いてさ」
 弾かれたように、幸村が顔を上げる。
「まことか!それで何と」
 佐助は薄く笑うと、報告の書面を幸村に手渡した。
「『万事問題ない、わたしは元気にしている』とちゃんは言ってる、だってさ」
「・・・・・・、」
「どうする、俺様様子見てこようか?」
 鎌之助の、下手くそな字が並んでいる書面を見下ろしながら、幸村はしばし逡巡した。
「・・・・・・いや、よい。がそう言っておるならば、そうなのだろう。それに分身含め、お前にはここで働いてもらわねばならぬ。まずは背後を固めなければ、雪が降る前にせねばならぬことは多い」
「分身含めってどんだけ働かされんの俺様。まあいいや、それじゃ鎌之助への指示は」
 問われて、漸く顔を上げた幸村は、真っ直ぐと佐助を見つめる。
「そのまま続けよと、そしてこちらも問題なく俺は元気だと伝えてくれ」
「はいはい、りょーかい」
 佐助はにこりと笑って、鎌之助への指示を認めた。


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20130531 シロ@シロソラ
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