第十一章 第八話 |
神川を越えて侵入した惣曲輪(そうくるわ)、民の姿が無い上田の町の、城の東虎口門に続く目抜き通りには、幾重にも馬妨柵が作られていた。交互に設置された千鳥がけで、大軍が一度に進めないようになっている。騎馬隊を主力に据えている伊達軍の進行を阻むべく急拵えで作られたもので、そのひとつひとつの強度は脆弱ではあったが、愚連隊じみた伊達軍の進軍速度を落とすには十分だった。 馬妨柵を越えると待ちかまえているのは城を囲う水堀で、橋は架けられているものの殺到すれば門の櫓からの弓の掃射に遭ってしまう。自然と進軍の勢いは削がざるをえず、そして水堀を無理に渡ろうとすれば城壁から木片や石が降ってきた。それで水堀が埋まってしまえば後々苦労することになるのは真田側であろうが、とにかくなりふり構っていられないのだろう。近づきさえできれば、如何に閉ざされていようともそれなりの道具があれば突き破ることが難しくはない平虎口である。門が見えているのに思うように攻められない伊達の兵たちに、焦燥が見え始めていた。 「やはり一筋縄ではいかぬようです」 「・・・・・・Ha、」 軍の後方で小十郎の報告を聞いた政宗は鼻で笑って、馬の腹を蹴った。 「政宗様!?」 「やり方が温いンだよ!」 言い捨てた政宗を乗せて、馬は土を蹴立てて自軍の兵たちの間を突っ切って行く。その後を、小十郎は慌てて追った。 「前を開けな!」 怒号の中響いた主君の声に、気づいた兵たちが慌てて控える。 「ひ、筆頭!?」 「何を!?」 兵たちが脇に逸れ、閉ざされた虎口門までの間に誰もいなくなってから、政宗は馬上で左腰の三振りの刀を抜いた。 刃が陽光を反射して、ぎらりと光る。 「行くぜ、」 右腕の刀が音を立てて回転を始め、蒼い稲妻が刃を走り抜ける。その稲妻は腕から政宗の身体へ這い、馬もろとも燐光に包まれる。 「――MAGNUM!!!」 轟音が駆け抜けて土埃が舞い上がる。 兵たちも揃えたように眼を見開き、その場を一瞬静寂が支配する。 そして馬ごと雷光と化した政宗が、突進で虎口門をぶち抜いていたのを見て、口々に喝采をあげた。 「さすが筆頭!」 「しびれるっす!!」 「苦流(くうる)、ってヤツっすね筆頭ォ!!」 門の残骸である黒く焦げた木片が飛び散る中、軍の先頭に立った政宗は視線を走らせ、左右の櫓から真田の弓兵が退いていくのを確認した。 ぱちりと納刀し、嘆息すると、声を張り上げる。 「オイオイもう終いか、ずいぶんと眠たい戦運びじゃねぇか真田幸村!」 土埃が晴れていく。 気配を感じ取って、政宗は隻眼を動かした。 そこには、ひとりの男がいる。 紅の具足に風にたなびく鉢巻き、両の手には朱塗りの十字槍。 「・・・・・・貴殿と片倉殿の稲妻を見たら直ぐに退くよう指示してござるゆえ」 静かにそう告げて、政宗を射抜く炎を宿した双眸。 「出た!」 「虎の若子か!」 兵たちの怒号の中、「真田幸村」はゆっくりと重心を落として槍を構える。 こちらを真っ直ぐと見据えて、口を開いた。 「邪魔立て無用の一騎打ち!貴殿も望むところでござろう!!」 気合いの籠ったその声に、政宗はぐいと口角を上げる。 「面白れェじゃねぇか!いいぜ乗ってやる!」 「政宗様!」 追いついた小十郎に、政宗は馬から飛び降りながら指示を飛ばす。 「手ェ出すんじゃねえぞ小十郎!」 何か言いたそうに小十郎が口を開くが、それを遮るように、幸村の裂帛が響く。 「独眼竜伊達政宗ェ!いざ参るッ!!」 その隻眼を爛と光らせて、政宗はずらりと六爪を抜いた。 「かかってきな!真田幸村ァ!!!」 いきなり六爪かよ、小介は心中でそう突っ込みを入れた。 これまで見聞きした情報では、伊達政宗は常に六爪を使うわけではない。まずは剣術の基本である一刀から、相手の力量を見極めつつ刀の数を増やしていくという。先の同盟の折に、この独眼竜とその右目が躑躅ヶ崎を訪れたときのことは、当時上田に留まっていた小介は実際眼にしたわけではないが、聞いた限りでは幸村を除く武田の将兵たちのなかで六爪を抜かせた者はいなかったという。 それが最初から六爪とは。 ・・・・・・こっちを「真田幸村」だと信じてくれてるのはありがたいことだけど。 考えながら、小介は二槍を繰る。 まず一撃、狙いは伊達政宗の、刃。 「ぅおおァッ!!」 だんと右足を踏み込んで、突きだした穂先は狙いを違わず伊達政宗の刃に阻まれる。 「Ha!」 甘いとばかりに振り払われた刀が穂先を擦り、微かな火花が散るのを小介の眼は見逃さない。 「まだまだッ!!」 ぶん、と槍を振りぬく、その穂先から炎が吹き出した。 穂先に宿る炎を見て伊達政宗が小さく舌打ちし、間合いをとるように背後へ跳ぶ。 小介は深追いせず、その場で槍を構えた。 ――小介の槍の穂先には、刀に見られるような細かな溝がある。刀であれば刃の強度を上げたり、刀身に付着した血を流したりする目的で作られるものだが、小介の槍の場合はその溝に特別に調合した油を仕込ませていて、今のように鍔迫り合いなどの火花から炎を熾せるようにしているのだ。 この細工だけは幸村の槍とは異なる。バサラを持たない小介が、戦いの最中も「真田幸村」に見えるよう設えたものだ。幸村の炎に比べれば、バサラ持ちを相手に効果を発揮できるような威力もないし、油が切れれば消えてしまうものではあるが、それでも二槍に炎とくれば真田幸村だと、だいたいの相手は判断してくれる。 雷光を見て小介は跳ぶ、空中で体勢を捻って槍を交差させる。 「――凰鳳落ッ!!」 「DETH FANG!!」 伊達政宗の迎撃に刃同士がぶつかり、剣劇の衝撃でびりびりと空気が震える。 刃の打ち合いなら、純粋な力の勝負ならば、独眼竜の剣にも負けない自信はあった。だが。 「ッ!」 まがい物の炎が竜の雷に負け、蒼い稲妻が刃から伝って牙を剥く。無理な姿勢から刃を弾いて後方へ跳ぼうとし、間に合わず竜の爪が小介に迫り、右の頬を掠めた。 ・・・・・・やばッ! 砂埃をあげて着地し、槍を持ったままの右手で頬に触れる、手甲に血が付いた。 やっちまった、そう思いながら、両の槍を構える。 「うおおおおおあああああッ!!」 一足飛びで伊達政宗までの間合いを詰め、背まで振りかぶった両の槍を薙ぐように振り切る。斬撃の軌跡に炎が舞い、それを紙一重で避けた伊達政宗の返す刀を身を反転させた勢いで弾き返す。 そのまま何度か打ち合い、 「ッぅらあああァァァ!!!!」 「Ya――Ha―――!!」 六爪の刃を、二槍で受け止め―― 「ッく!」 ――きれずに押し負けて弾き飛ばされる。稲妻の直撃を受けて、意識が飛びそうになるのを奥歯を噛みしめて耐える。地に叩きつけられる前になんとか体勢を整え、しかし着地の衝撃で膝が折れた。稲妻の一撃は外傷こそなかったものの、膝にきたらしい。 ひゅん、と風切り音がして、小介の背後に槍が突き立った。右の槍が弾かれたのだと、その音で気が付いた。 「――・・・・・・アンタ、」 伊達政宗がこちらを見据えて何事か言おうとするのを、残った槍を右腕に持ち替えながら遮るように、小介は吠える。 「なんの!まだまだ勝負はここからでござるぞ!!」 震える膝を叱咤するように叩いて、気合いで立ち上がる。その双眸は、伊達政宗の隻眼を睨み続ける。 幸村なら、そうするはずだからだ。 ――甚八にはああ言ったが、正面を切っての一騎打ちで独眼竜に勝てるほどの力量が己に無いことを小介も自覚している。いかに幸村と同じ槍捌きを身に付けようと、バサラの有無という途方もない差を埋めることはできない。 小介の狙いは初めから、伊達軍の足止めだ。軍と軍のぶつかり合いでは到底敵わない戦いを、五分まで引き戻すためには、「真田幸村」を使って伊達政宗を釣るしかなかった。主人の好敵手の性格を、それなりには理解しているつもりだ。一騎打ちを持ちかければ、伊達政宗は必ず、軍の動きを止める。軍師・片倉小十郎も、主君が真田幸村と一騎打ちするとあっては、手を出すわけにも、その場を離れるわけにもいかなくなる。そうすれば、この戦は合戦ではなく、真田幸村と伊達政宗の果し合いになり、兵員への犠牲を、限りなく少なくすることができるのだ。 そして、この場で己が、――「真田幸村」が敗ければ、伊達政宗は兵を退くと、小介は考えている。 斥候に赴いた真田忍びの情報では、伊達軍は長期行軍するほどの備えを持っていない。つまりこの進軍は甲斐・武田への宣戦布告ではなく、恐らくは真田幸村に対する様子見を目的としたもの。 そうであるならば、伊達政宗の性格を鑑みれば、「真田幸村の無様」を見て兵を退くはずだ。 ・・・・・・もちろん勝てるならそれに越したことはなかったんだけど。 やはり力量の差は歴然としている。 まだ刃に炎は残っているとはいえ、あまり戦いを長引かせるとこちらが影武者だと気取られる恐れもあった。 意を決して、小介は口を開く。 「独眼竜の六爪はその程度ではござりますまい!さぁどこからでも参られよッ!!」 妙だと、思った。 真田幸村の、炎だ。 確かに槍に炎を纏うのは、あの男の戦い方だ。 しかし、この炎には、どこか違和感がある。 あの暑苦しい男の魂は、この程度のものだったか? その立ち居振る舞い、吠え方、そして槍捌き、どれをとっても、眼の前にいるのは真田幸村その人であるはずなのに。 ・・・・・・やはり、甲斐の虎を失って腑抜けたというのか。 「独眼竜の六爪はその程度ではござりますまい!さぁどこからでも参られよッ!!」 そう言って片方だけになった槍を構える相手に、政宗は眉を持ち上げる。 「・・・・・・上等だ」 炎に気合いが感じられなかろうが何だろうが、あくまで屈しない姿勢はやはり虎の若子の姿だ。 重心を落とし、六爪の刃に細かな雷を走らせ、 ――真田幸村とこちらの間を隔てるように、煙のように闇色が滲み出た。 「ッ!」 「政宗様!」 小十郎の鋭い声、獣じみた動きでその場から飛び退いた政宗は、闇色の煙からずるりと這い出るように現れた人物を見て、面白くなさそうに息を吐くと六の刀を鞘に納めた。 「ったく病み上がりなんだから大人しくしてればいいものを」 現れた忍びが、温度の無い眼でこちらを見つめて、吐き捨てるように言う。 「・・・・・・アンタ、心底武田を見くびってるらしいねェ?」 「おいおい、俺を舐めたのはアンタが先だろ?」 鼻から息を吐いて、政宗は忍びを指さした。 「・・・・・・『唯一』城を守れるアンタが離れてたんだからな」 侮蔑の色濃い響きのなか、特に強調した「唯一」という言葉に、忍びは薄く笑う。 「――よい、佐助」 声がして、肩をすくめた忍びが素早く印を切ると、闇色の煙が霧散した。その煙の中から現れたのは。 紅の具足に風にたなびく鉢巻、今の間に拾ったのか、両の手に朱塗りの十字槍。右頬に、まだ血の止まらない傷。 そこには、先ほどまでと変わらぬ、真田幸村の姿がある。 |
20130528 シロ@シロソラ |
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