第十一章 第七話 |
天高くかかる薄い雲、そして眩い陽光に隻眼を細めて、伊達政宗は面白くなさそうに呟いた。 「・・・・・・動かねェな」 右手に提げている兜を手遊びにくるくると回しているその様子を、伊達軍の兵たちはただ口を挟まずに眺めている。 なぜなら、彼らの主君が今、誰の眼にも明らかなほど、いら立っているからだ。 不用意に近寄れば雷に打たれるのではないか、そう恐れて、兵たちは政宗を遠巻きに見つめている。 ただひとりを除いては。 「五日、たちましたな」 片倉小十郎はそう言いながら、主に竹の水筒を手渡した。 「thanks」 短く礼を言って、政宗は水筒を受け取ると中の水を口に含む。 伊達軍がこの信州上田、真田領で陣を張って、すでに五日目だ。 目の前を穏やかに流れる神川を挟んで向こう岸、収穫の済んだ田畑と町、そして紅の六文銭の旗を掲げる城を、ごくりと喉を鳴らしながら、政宗の隻眼は睨みつけた。 この五日間、上田城は固く門を閉ざしたまま沈黙を保っている。 ・・・・・・予想外だった。 上田に向けて進軍したとしても、ここに至るまでに真田の迎撃に遭うというのが伊達軍の、政宗の心づもりであったのだ。 それなのにさしたる軍の姿は無く、そして町にも人影は無い。 斥候を放って確認したところ、町の人々は城内に避難しているようだった。ということは、少なくとも真田側はこちらの進軍に気づいているわけであり、気づいていながら迎撃もせずに籠城を選択したということだ。川や沼を水堀に見立てた天然の要塞であるとはいえ、たかが土豪の平城である上田城に籠るなど、采配の度量が知れるというものだった。 そう、ここまでのあまりの手ごたえの無さに、あるいは真田幸村が不在なのかとも考えられた。しかし先遣に走らせた斥候によれば、真田幸村本人が城内で指揮を執っているという。 「・・・・・・何のつもりだ、真田幸村」 呟いて、政宗は奥歯を軋ませた。 ――武田が石田と、同盟を結んだ。 その報せは、政宗の耳にも届いていた。そして少なからず、衝撃を受けていた。 豊臣を継いだ凶王・石田三成の名は、伊達軍の誰にとっても面白いものではない。小田原の敗戦は誰の記憶にも新しいところである。 雪辱は、必ず果たさねばならない。 竜の名にかけて。 言うなれば、その名に付いた泥を拭う戦い。埃が付いたから払う、それだけのこと。政宗にとって、これから臨む石田三成との戦は、つまりはそういうものだ。そこには正義も大義もありはせず、奥州の独眼竜が天下に名を轟かせるための踏み石に過ぎない、――そう、政宗は、理解している。 だが、そこに兼ねてよりの宿敵・真田幸村が絡むとなれば話は別だ。 彼の男との決戦は、天下の頂にて。政宗はそう決めているし、それはあちらも同じはずだ。石田との小競り合いの最中に刃を交えるなどというつまらない展開にだけはさせたくない。 ――武田の代替わりについては、伊達軍も把握している。家督自体は信玄の子息に譲られたようだが、虎の後を継ぐのは間違いなく幸村であると、政宗は確信していた。 あの男もついに一国を背負う立場に、――己と同じところまで来たのだと。 それなのに、手始めにやることがよりにもよって石田などとの同盟だとは、期待はずれもいいところだった。 真意を確かめるべく進軍してみれば、ここまで何ら抵抗も見られない。 ――武田の代替わりは、その実甲斐の虎・武田信玄の死によるもの。 不確定ではあったが、伊達の黒脛巾(はばき)はその情報を掴んでいる。 ・・・・・・まさかそれで指標を失ったとでも言うつもりじゃぁねぇだろうな。 それでとりあえずは眼前に迫る徳川軍に対抗するために、その反対勢力と手を結んだというならば、甲斐の若虎も堕ちたというものだ。 「・・・・・・あるいは、真田は不在なのやもしれません」 小十郎がぽつりとこぼした言葉に、政宗は柳眉を持ち上げた。 「Ah?真田幸村の姿ならあったと、確認はしたじゃねぇか」 政宗から水の入った竹筒を戻された小十郎が、その場に控えながら口を開く。 「真田家は優秀な忍びを飼っております。斥候が確認した姿は、そのうちの誰かの変姿の可能性もございますれば」 「猿のことか?」 「猿飛の可能性もございましょうが、・・・・・・しかしここまで動きが無いのは妙です。真田、猿飛共にあの城にはいないのかもしれませぬ」 「Hum・・・・・・、」 政宗は考えるように口を閉ざした。 しばらく城を睨んで、手に提げたままだった兜を持ち上げる。 「ま、考えるのは終いだ」 「と、申されますと」 兜を提げた右腕を城の方へ突き出して、政宗は口元を歪める。 「あそこに真田幸村がいようがいまいが、ここで負けるようならそれまでの男だったってことだ。出るぞ、小十郎」 「しかしあの城が一筋縄で落とせるとは」 「希代の謀将・真田昌幸のご自慢の要塞だってンだろ、んなこたぁわかってる」 小十郎の言葉を遮って吐き捨てるように言いながら、政宗は兜を被った。 「その要塞がうまく機能するかどうかなんざ、大将の手腕ひとつだ。謀将はもういない」 それに、血気盛んな兵たちをこれ以上待機させて、無駄に士気を落とすのも馬鹿馬鹿しかった。 待つのは性に合わない。とりあええず城に乗り込んで、指揮を執っているはずの「真田幸村」を仕留めれば全て解決だ。 そう考えて、政宗はぐいと口角を上げる。 「陣触れだ、小十郎」 膝をついてそれを見上げた小十郎は、頭を垂れた。 「御意」 籠城をはじめて、五日がたった。伊達軍が国境を越えてからの日数では、今日で七日目だと数えて、小介は首を回した。直立不動の姿勢で立ち続けていたので、凝り固まった首が良い音をたてる。 わざわここから見えるところに陣を張った伊達軍に、さしたる動きは無い。 「・・・・・・政宗殿もまっこと暇でござるな」 幸村の顔で、幸村の声色で、そう言ってわずかに眼を細める小介が身に纏うのは、幸村と同じ紅の戦装束だ。 ごほん、と側に控える甚八の咳払いが聞こえて、小介はそちらを振り返ると、他の兵たちからは見えない角度でぺろりと舌を出す。甚八は呆れたような息を吐いた。 伊達軍侵攻の一報を受けてまず小介が行ったことは、城下の民を城に避難させることだった。攻め入られれば、兵員ではない民も略奪に晒されることは珍しくない。奥州の独眼竜がそのようなことを許す男であるとは小介も思っていないが、それが下々の足軽兵たちも同じであるとは限らないのが、この世の常だ。特に伊達軍は、見聞きした限りではお世辞にも行儀が良いとは思えなかった(そもそもこの戦乱の世にあって行儀の良い軍などありはしないのだけれど)。 そういう意味では、田畑の収穫が終わった後だったということは不幸中の幸いだった。挑発などで焼き払われるような心配も無いし、籠城していてもとりあえず食うには困らない。 それに、小介とて迫る伊達軍を前に籠城準備だけを進めていたわけではない。 今の上田に詰める兵の数は、どうかき集めても千には届かない。彼我の兵力差は明らかである上に、こちらには幸村本人も、忍隊の長もいないのだ。対してあちらは独眼竜とその右目を揃えている。どう戦ったところで、勝ち目などない。 ただ、小介には、勝つ気も無い。 大坂からの帰路にある「本物の」幸村にはすでにこのことは報せてある。 その時点で、幸村の本隊が上田に帰還するまでにかかる日数は通常ならば十日というところだった。だがきっと、本隊はその日程より早く、強行軍で戻ってくれるはずだ。 幸村は、必ず戻ってくると、小介も甚八も信じている。 だから自分たちのなすべきことは、幸村が戻るまで、できうる限り被害を出さぬよう耐えることだ。 民にも、できれば城にも、傷をつけてなるものか。 そのためには、真っ向から勝負を仕掛けるわけにはいかないのだ。 幸村のものとまったく同じ拵えの、朱槍の感触を確かめるように、ぐ、と握る。 そのとき、小介の耳に法螺貝の音が聞こえた。 続いて鬨の声。 「幸村様!!」 物見の兵の叫ぶような声に、小介はすうと眼を細める。 「・・・・・・動いたか」 伊達軍が進撃を開始したのだ。 それを聞いた兵たちにも動揺が広がっている。 「大丈夫でござる、」 報告してきた兵にそう言って、そして周りを見渡して小介は笑ってみせる。 「手順はすでに決めたとおり、皆よろしく頼むぞ」 応、という返事とともに、兵たちは慌ただしく動き始める。 その中で、ごく自然な動きで甚八が小介に近寄る。 「・・・・・・いいのか」 「何が?」 周りの兵たちには気取られない角度で、互いに背を合わせながら、甚八は小介に言う。 「下手を打てば、お前は死ぬぞ」 「じゃーこれ以外になんか方法ある?」 「・・・・・・」 口を閉ざした甚八に、小介は眉を下げて息を吐いた。 「これが、この生命の正しい使い方、だろ?」 それに、と続けて、小介は振り返ると、甚八の背をばしりと叩いた。その上背を見上げて、にいと口角を上げる。 「ひょっとしたら俺が勝っちゃうかもしれねーだろ」 そう言い残して、小介は駆けていく。 風が吹いて、その鉢巻の裾を翻す。蒼く澄んだ空に、一筋の紅。 甚八は無言で、それを見つめた。 |
20130520 シロ@シロソラ |
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