第十一章 第六話 |
太閤秀吉の権力の象徴である大坂城は、とかく広大である。小田原城にも匹敵するその規模に、二の丸を歩いただけだというのにはいささか疲れを感じていた。それもこれも、女性の装束の動きにくさの為だと思う。少なくとも忍び装束で屋根を駆る分には、疲労など感じなかったのだ。 二の丸の一部は、さらに四方を大きな櫓に囲まれた曲輪のような造りになっている。太閤閣というらしいその場所で、前を行く吉継がふいに動きを止めたので、も倣って立ち止まった。 見上げれば、空が櫓に切り取られているかのようだった。 秋晴れの空に、記憶の満月が重なる。 あの月の夜、ここでもたくさんの忍びが、生命を落とした。 あのときは佐助の後を追い、佐助から眼を離さなかったから、彼の忍びの大手裏剣がまるで物でも斬るかのように無造作に、次々と石田軍の忍びの生命を奪ったことを知っている。 ・・・・・・否。 視線を、己の右腕に落とした。重い着物の袖を持ち上げて、掌を見下ろす。細かな傷が幾つも残る右の掌。 忍びの生命を奪ったのは何も佐助だけではない、あの夜真田忍びはそれぞれ戦働きをしたはずだし、何よりも三人、この手にかけた。 ぐ、と拳を握ると、は吉継へ視線を向けた。 その、包帯に包まれた背に、問う。 「・・・・・・何を考えているのか。聞いてもよろしいでしょうか」 の問いに、吉継がゆらりと輿を動かして、こちらを見た。 「何、とは」 「・・・・・・貴方は、ご存じでしょう。案内などされずとも、わたしがこの城のつくりを知っていることを」 あの夜、吉継はの気配に気づいていた。わざわざ「気づいているぞ」とこちらに報せてくれていた。 なのに何故、こうして自分を連れ出したのか。「刑部少輔」は、少なくとも無駄に時間を割けるほど暇ではないはずだ。 この、大谷吉継という男の、目的は、何か。 しばらくの顔を見つめて、吉継は「ヒヒ」と肩を震わせた。 「あの夜の忍びは、豊臣の者に非ず。ましらの為に用意した根無しの浪人どもよ、草とはいえ三成の大切な僕に傷をつけるわけにはゆかぬからなァ」 「・・・・・・」 がわずかに眉を動かすのを、吉継は見逃さない。 「われに問いたいこととはそれではなかったか?おなごの細腕にはひとごろしの罪はたいそう重かろ、だが後腐れの無い相手なら話は別だ、ぬしが気にかけることはなァにも無いぞ?」 無遠慮に撫でまわされるような声だ。は眉間に皺を刻む。 「・・・・・・違う、ひとの生命を奪う痛みは、その相手が誰であれ等しく同じだ。あの夜わたしはひとを殺した、その事実が消えることは無い」 ひとを斬る、その生命を奪う痛みを受け入れて、それでも進むのだと、は心に決めている。 それが武人としての、己の生き方だと。 「痛み、とは、ヒヒ」 何が可笑しかったのか、吉継は引きつれたような笑い声を止めない。 「いかに根無しとて、覚悟も無く斬られた者は哀れよな」 ひくりと、は眉を持ち上げる。 覚悟が無い、だと? 「――わたしは武人だ、」 語調がきつくなっているとは自覚したが、わかっていても止められなかった。 「ひとを斬る覚悟ならば、とうに決めている!」 「ならば問う。今ここに、ぬしが殺めた者の妻や子が現れて、ぬしを責めればなんとする」 「っ、」 は一度、口を噤んだ。包帯から唯一露出している吉継の眼が、笑んでいない。その不気味に光る双眸を見つめて、は言葉を探した。 「・・・・・・可能な限りの、謝罪をしよう。その方々が、望むことを。・・・・・・わたしの生命は、まだ使えないけれど、他のことならば、いくらでも」 「ぬしはこれまでに、何人斬った」 淡々と問われて、はうろりと視線を動かす。 「・・・・・・数えきれない、数の、ひとを。わたしは、斬った」 「そのすべてを、ぬしひとりの身で償いきれるとでも思うておるのか?」 頭のどこかで、これ以上この男と会話を続けてはいけないと、考えた。 まるで底無しの沼のように、ずるずると引きずり込まれるような、気がする。 「・・・・・・わからない」 の返答に、吉継は短く笑う。 「その程度の覚悟と、いうことよ」 まァよかろ、と吉継は続ける。 「ぬしはもはやわれの娘、大谷家の姫だ。琴でも爪弾くなり歌でも詠むなり、・・・・・・あァ流行りの絵巻でも取り寄せるか。何にしろ、」 感情の読めないその双眸が、を捕らえる。 「――もう、怖い思いをして刀をとる必要は、どこにも無い」 ぎくりと、は肩を強張らせた。 違うと、答えたかった。 確かにひとを斬るのは恐ろしい、だがそれを自分は受け入れて、戦うことを決めた。 そう思うのに、言葉が、出てこない。 ただ、痛いところを暴かれた子どものように、睨むことしか。 「・・・・・・貴方は一体、何がしたいのだ・・・・・・!」 乾いた喉からなんとか絞り出した声は、わずかに震えた。 吉継は可笑しそうに眼を細めて、鷹揚に腕を持ち上げる。 「ぬしに案内をしておこうと思ったのはな、『あの夜』の後に設えたものがあるゆえ」 包帯に包まれた指先がゆっくりと指さしたのは、この太閤閣を囲むそれぞれの櫓に設えられた、砲台のように見える。 はそちらを見上げて、眼を細めた。 「・・・・・・あれは、大筒?しかし向きが、こちらを向いている、のか」 「ここを狙うためのものよ」 返ってきた言葉に、は訝しげに吉継を見る。 「・・・・・・『ここ』?」 「攻め入られた場合、本丸を目指すにはここを通らねばならぬゆえ」 「侵入者対策ということ、か」 「左様。あの大筒から放たれるはただの弾に非ず、毒塵を撒く針よ」 「毒・・・・・・?」 聞き返したに、吉継は目元を笑みに歪める。 「吸い込めば肺臓を犯し、苦しみを与えながらゆるゆると死に至らしめる。なに、相手が間者なら直ぐに殺してしまうわけにはゆかぬでな」 ヒヒヒ、と引きつれるような笑い声に、は背筋に寒いものが走るのを感じた。 戦いやその他の目的に毒を使うのは、忍びの常道だ。彼らは目的のために手段を選ばず、それが良いとか悪いとかそういう括りで考えるべきものではないが、少なくとも武士の戦いにはそのようなものは用いない。己の武術、あるいは軍を率いる采配をもって戦いに挑むのが武士である。もそう、思っている。 だが、この城では。 あのように誰の眼にも見て公然とわかるところで、毒が使われるのか。 「・・・・・・たとえ、侵入者がここに至ったとして、そのようなものを使えば、この城の者たちも危ないのではないのか」 の問いに、吉継は何ら問題は無いというように答える。 「太閤の城を穢した罪は、ここまでの侵入を許した者も等しく同じということよ」 「・・・・・・!」 それはつまり、敵味方関係ないということなのか。 顔をしかめたを見て、吉継が面白そうに笑った。 「ヒヒ、冗談よ、冗談。ぬしは優しい、ヒヒヒ」 「・・・・・・」 その笑い声に、ほたるは顔から表情を落として、考える。 この男の言葉の、何が本当で、何が嘘なのだろう。 どれも本当に聞こえるし、しかしどれも嘘だと言われても不思議はない。 どうしても、わからない。 己の「父」たる、この男の本心が。 自分はこの男に、どう接するべきなのか。 「何がしたいのかと、先ほど言いやったな。われの為すこと、その目的などただひとつ」 言葉を失ったに、吉継は例によって撫でまわすような声で、言う。 「すべて義のため、三成のためよ」 自室に戻ると、待ち構えていたらしい鎌之助に跳びかかられる勢いでまくしたてられた。 「さん!無事っすか、何もされませんでした!?」 「貴方は意外に心配性なのだな、鎌之助。このとおり無事だ」 腕を広げてどこにも怪我もないと見せてみたが、鎌之助は納得のいかない様子だ。 「だって大谷吉継!あいつ絶対裏あるっすよ、てか裏しかないっすよ!」 「・・・・・・そうだな」 鎌之助の声を聞きながら、は腰を落ち着ける。 「凶王の黒い腹」。 佐助も油断ならない男だと言っていたし、あの月下の立ち回りで実際眼にしても、見目の奇異さ以上に考えの読めない男だとも思った。 敵味方構わず毒などというものを使う、そのことを笑いながら話すような男だ。 そしてが裾の長い着物に慣れないことも、覚悟に揺らぐこのこころの内も、早々に見透かす男だ。 ・・・・・・だが。 あるいは、その言葉をすべて信じるならば、彼はを、気遣ったようにも、思える。 あれが、今の、ほたるの、「父」。 ――の本当の父、の先代は、が幼いころに亡くなったから、その記憶はわずかしか残っていない。 厳しくも優しいひとだった。その頃は先代だった御本城様への忠義の心を、は尊敬していた、と思う。ただ具体的な会話や行動の記憶はもはやおぼろげだ。 父とは、――家族とは、どのようなものだったか。 「・・・・・・鎌之助」 「なんすか?」 「貴方には、家族があるか?」 「はあ、家族、すか」 鸚鵡返しに返ってきた声に、はわずかに逡巡してから、言った。 「いや、その・・・・・・、わたしには兄弟が無く、母はわたしを産むと同時、父は子どものころに亡くなったから、家族というものがよく、わからなくて」 小田原にいたころ傍にいてくれた者たちは、確かにに親しく接してくれた。しかし彼らはを、「」を主人と見ていたのであるから、「家族」というものとはまた別だろう。 が何の話をしだしたのかよくわからないのだろう、鎌之助はしばらく考えるように頭を掻いた。 「・・・・・・その、俺も親とか兄弟とかそういうの、無いんすよね」 「・・・・・・そうか」 それは悪いことを聞いたのかもしれない。乱世にあって、親なし子は珍しくないものだとはいえ、決していい思い出でもないだろう。 そう思っては口を開こうとして、しかし先に鎌之助が言った。 「俺もともと盗賊だったんすよ」 一瞬何を言われたのかわからなくて、はぱちりと瞬きをする。 「・・・・・・は、貴方が?盗賊?」 「そー、まぁ若気の至りっつーんすかね、ひとりで好き勝手やってたところを、長に拾われて幸村様んとこでお世話になることになったんすけど」 話しながら、鎌之助はにかりと笑う。 「だから、家族っつったら上田のみんな、ってことになるかなあ。長はすっげえ怖いとこもあるけどいざとなりゃ頼りになる父親みたいだし、才蔵さんは怖すぎるけどみんなをまとめる母親みたいだし」 「貴方の周りは怖いひとばかりか」 「そりゃあのひとらは化け物っすよ!俺なんか全然敵いませんもん!・・・・・・けど、みんなで馬鹿みたいに騒ぐのすげえ楽しいし、俺は幸村様もみんなも大事に思うし、たぶんだけどあのひとらも俺を大事に思ってくれてる。そーゆうの、家族かなって俺は思うっす」 「・・・・・・そういえば幸村殿は、皆を家族だと言っておられた」 あれは確か、初めて上田に足を踏み入れ、真田忍びの者たちを紹介された時のことだ。 彼らは互いに信頼しあって幸村のために動いている。ときに喧嘩じみたやりとりもあったのをも見たが、それも信頼関係が根底にあってこそ。 「そうか、貴方たちのような関係は確かに家族なのだろうな」 「・・・・・・確かそんとき幸村様が言ってたと思いますけど、さんもその一員なんすからね」 鎌之助に顔を覗きこまれて、は眼を丸くした。 「・・・・・・、」 ――『殿も、家族でござるよ』 あの初春の日。確かに幸村は、そう言った。 「」は他人との関わりが特に不得手で、要らぬ矜持で身を固めて威嚇ばかりしていた、あの頃のことだ。 幸村はいつだって、に手を差し伸べてくれた。がどんな態度をとっても、言い争った後だって、幸村は笑ってくれたのだ。 家族とは、つまり、そういう関係なのだろう。 「ありがとう、鎌之助」 「いやその!礼を言われるようなことは何にも、・・・・・・つうかほんとに大丈夫すかね」 ぶんぶんと顔の前で両手を振った鎌之助は、思い出したように声を低くした。 「何がだ?」 「ここやっぱ、居心地悪いっす。なんかひとの陰口ばっか聞こえてくるし」 「・・・・・・貴方も気づいていたか」 「・・・・・・すんません」 「何を謝る」 眉を下げて、そしては息をつく。 確かに、この屋敷の使用人たちの様子には疑問を禁じ得ない。 吉継が原因なのか、それもわからない。 「正直、俺一人じゃ頼りないすよね?長から、危なそうだったら応援寄越すからすぐ言えって言われてます、まぁ長本人は無理でしょうけど甚八さんとか、呼びましょうか」 叱られた犬のように項垂れた様子で鎌之助がそう言うので、眉を持ち上げる。 「貴方が頼りないなどと思ったことはない」 鎌之助がこちらを見る。その双眸を、は真っ直ぐと見つめる。 「佐助には、万事問題無い、わたしは元気だと伝えてくれ」 「けど、」 不安気な様子の鎌之助に、はわずかに笑ってみせた。 「大丈夫、どうにもいかぬようなら正直に言うから。貴方のようなひとが傍にいてくれて、本当によかった」 その言葉に鎌之助はきょとりと眼を丸くして、そしてまたぶんぶんと両手を振った。 「いやいやそのッ、褒めても何も出ないすよ!?」 なんなんすかもー!と何故か機嫌を損ねたらしい鎌之助から、は視線を動かし、自分の胸元を見下ろすと懐に手を差し入れた。 女性の装束では懐にたくさんの物を入れられる余裕がないため、いつも離さず持ち歩いていた幸村から譲られた手拭いは、今は刀と共に置いてある。懐から取り出したのは、手拭いの代わりにそこに入れている、櫛だ。使い込まれて手に馴染む、幸村の櫛。結局佐助に返すことができず、そして幸村にも渡す機会を失ったまま、今に至っている。 「あ、髪でも結います?」 気づいた鎌之助がそう言ったので、は瞬きをして頷いた。 「そうだな、外を歩いたから少し乱れてしまった、整えよう」 「承知っす、じゃあ鏡借りてきますから待っててください」 歯を見せて笑ってから立ち上がった鎌之助に礼を言って、は櫛に視線を戻す。 まだ、大丈夫だ。 ・・・・・・わたしは、わたしにできることを、しよう。 そう考えて、櫛を握る手に力を籠めた。 |
20130509 シロ@シロソラ |
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