第一章 第七話

 鋼と鋼がぶつかる、甲高い音が耳を劈いた。
「政宗様!」
 背後の小十郎が声をあげる。
 権兵衛と名乗った目の前の少年は、抜刀の刃で政宗の右の首筋を正確に狙った。
 抜刀の鞘走りを活かした、一切の無駄のない動きだった。
 右手の刀では間に合わず、とっさに左手で抜刀し、権兵衛の刃を受け止める。
「・・・・・・へェ」
 おそらく自分は今笑っているだろうと政宗は思う。
 権兵衛の刃を受け止めた左の刀を振りぬくと、力比べをする気はないのか、権兵衛はあっさりと後ろへ跳び、着地の足を軸に政宗の右側へ回り込む。立て続けに二回の斬撃、どちらも左の刀だけで防いだ。
 ――こいつは驚いた。
 髪が長いからまず女かと思った。が、ずいぶん軽装ではあるが武具を身にまとっているガキだと気付いた。仕立てのよさそうな着物や物腰から、今川の家臣の子せがれだろうかと思う。
 しかし武家の人間なら確かな名乗りをあげるはずだ。
 さらにこの太刀筋。
 さきほどから寸分たがわず、政宗の右の首筋を狙っている。
 そう、右目に眼帯をしている政宗にとって、そこは、死角だ。
 武士の戦い方ではない、と思う。
 武士の戦いは、まず相手の無効化を目的とする。
 この乱世においては、そうではない者も少なからずいるのだが、例えば先日派手にやりあった甲斐の若虎なんかはその典型だ。
 相手を無効化し、今際の際の言い残しがないか確認してから首をはねる。たとえ敵であろうとも相手の矜持を尊重する、それが武士のやり方だ。
 この権兵衛の動きには、そういった情け容赦がない。一撃必殺で相手の命を奪おうとしている。
 ――いうなれば、これは忍びの戦い方。
 どうやら武家の子せがれではなく、そう変装した忍びのようだ。
 何回かの斬撃を二刀で防ぐと、権兵衛が一度間合いの外に離れる。
 何か考えるようなそぶりをみせ、次の瞬間。

 右目の眼帯から小指一本の距離に、権兵衛の刀の切っ先があった。

「――ッ!!!」
 防ぐのでは間に合わない。上体を限界まで反らし、刃が眼帯にかすってがりりと音をたてた。
 政宗の眼帯は、刀の鍔を使っている。刀の鍔にはもちろん刃を通す穴がある。
 権兵衛が狙ったのはその穴だった。
 そして、
「ッが!」
 刃を避けて一瞬無防備になった政宗の顎を、権兵衛の膝がとらえていた。





 ――仕留め損ねた!
 は内心舌打ちした。
 やはりさすがは奥州の独眼竜、これほどまでとは。
 顎は蹴れたが、体術に向かない自分の膝蹴り程度では、軽い眩暈くらいしか起こさないかもしれない。
 独眼竜という異名だし、眼帯のとおり右目は見えていないのだと考えていたが、この男右目も見えているのではなかろうか。
 それほどまでに、右側の攻撃は通用しなかった。
 最後の一撃は確実に相手の虚をつけていた、それでも避けられた。
 どういう身体能力だ!
 一回転して着地、しかし休んでいる場合ではない、眩暈くらいは起こしているかもしれない伊達政宗へさらに追撃しようとして、
 目の前に雷をまとった男が突進してきた。
「――ぅあッ」
 避ける以外に方法がなく、無様にごろごろと転がった。
 見れば先ほどから静観していた伊達政宗の家臣。両の肩にぢりぢりと音をたてて、雷が纏わりついている。
 やはりバサラ者だったか、とは頭の隅で考えた。
「小十郎!」
 伊達政宗の声がして、男が雷を納めてそちらを振り返る。
「政宗様、しかし」
「shut up、そいつァ俺の獲物だ」
 体勢を整えたが見つめる先、伊達政宗が両手でずらりとすべての刀を抜いた。
 とたんに、遠巻きに見ていた伊達軍から歓声が上がる。
「筆頭ォー!!!」
「筆頭が六爪を抜いた!」
「やっちまってください筆頭!」
 伊達政宗がこちらを見る。その左目が、いっそ凶悪に笑う。
「Hey,kid――partyはここからだ、you see?」
 ぱーりーってなんだろう、とどこか他人事のように思いながらは刀を構える。
 次の瞬間、
「――癖に、なるなよ?」
 蒼い雷光が爆発した。





 斬撃自体は、刀で受け止めたと、思う。
 その瞬間感じたのは痛いだとか熱いだとかではなく、ただ衝撃だった。
 耳がおかしくなったのか、何も聞こえない。
 そして背中からもう一度衝撃。
「、ぐぅ・・・・・・ッ」
 自分のうめき声が聞こえて、ようやく音が戻ってきた。
 吹き飛ばされて、背中から岩山に激突したらしい。
 肺に残っていた空気が衝撃で出て行ったか、息が苦しい。
「く、そ」
 肋骨が折れているようだったが動けなくはない。
 身を起こしたら、生暖かい感触が額から頬へ伝った。錆びた鉄のような臭いが鼻をつく。
 防ぎきれなかったか、おそらく額が割れているだろう。
「hmー、まだ動けるか?」
 伊達政宗がゆっくりとこちらへ歩いてくるのが見えた。
 そろそろ本当にやばい。同じ人間とは思えない力だった。
 何度も思ってしまう。これほどまでとは。
 一撃必殺の奇襲がができる唯一の戦い方であり、戦闘が長引くほど自分の手の内を明かすことになり不利であることは百も承知だった。
 伊達政宗をこの場で殺すことは不可能であると判断する。
 目の動きだけで周囲を確認する。今川軍の兵の姿は、ない。
 時間は稼げただろうか。
 立ち上がるとばたばたと音をたてて、地面に血が落ちた。
 ここで自分が死ぬわけにはいかない。の血を途絶えさせてはいけない。
 このチカラは、相模の獅子に必要なのだ。
「それで、アンタはどこの忍びだ。今川か?」
 逃げ切れるだろうか。
「チ、だんまりか、――まぁいい、後でゆっくり聞かせてもらうぜ?」
 ばぢ、と音がする。
 六振りの刀が、再び帯電を始める。
 その刀が、振り上げられるのが見えた。
 考えている余裕はない、意識を風に集中する。
 次の一撃を避けて、斬撃後の隙をついて戦線を離脱する。
 一か八か。
 ・・・・・・賭け事は嫌いなんだがな。
 出血で体温が奪われているのか、妙に冷えた頭でそう考えた、その次の瞬間。
 
「――殿!!」

 視界を、鮮やかな緋色が躍った。




 まるで血の色だ、と思った。
 たとえば今、伊達政宗に切り裂かれるこの身から噴き出るだろう血潮は、かように視界を緋色に染めるだろうかと。
 しかし現実には、自分の身には衝撃も痛みもなかった。
 緋色の正体は、炎。
「お前、真田幸村ッ!」
 伊達政宗の声が聞こえる。
 は声を失って、ただ眼前に現れた背中を見つめていた。
 彼の二槍が、伊達政宗の刀を受け止めている。
 刃の擦れあう甲高い音がして、伊達政宗が数歩後ろへ跳んだ。
 火の粉が舞い、温められた空気がゆらゆらと揺れる。
 夜明けの陽光が一筋、その背を覆う。
 その身にまとった炎が、陽の光に照らされて、黄金色に輝く。
 緋色の装束には六銭紋、二槍を構えた背中が吠えた。
「伊達政宗殿!そなたのお相手はこの真田源二郎幸村が致し申す!!」


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20120529 シロ@シロソラ
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