「家族になろうよ」シリーズ 3

「はいこれ」
 翌朝、出がけの彼女から渡されたのは、鍵と一万円札だった。
「・・・・・・え」
「ごはん、作ってくれるんでしょ?」
「・・・・・・一万円もいらないよ」
「今小銭ないのよ、それでなんとかして」
 なんとかって。
 佐助は思わず受け取ってしまった一万円札を見下ろす。
 それに鍵。
 ピッキング対策だろう、何やら複雑な凹凸のあるその鍵はどう見てもこの家の玄関のもの。
「・・・・・・俺様が言うのもなんだけどさ、こんな訳わかんない男に鍵なんか渡しちゃだめだよ」
「訳わかんなくもないでしょ、あんた悪人じゃなさそうだし」
 その自信は一体どこから、と思いながら佐助は苦笑する。
「ああそうだ、スーパー行くんだったらついでにこれもらってきてくれない?」
 玄関でパンプスを履いてから、彼女はそう思い出したように言って、財布からレシートのようなものを取り出して佐助に渡した。
 見ると、クリーニングの引き換え票だった。
「帰りは昨日と同じくらいだと思う、じゃ、よろしくね」
 佐助の返事も待たずに、ドアの閉まる音。
 そういえば、名前を聞きそびれた。
 鍵と一万円札とクリーニングの引き換え票を再び見下ろす。
 クリーニングの引き換え票には、会員名として氏名が印字されている。
 「  様」。
 偽名で会員登録していない限り、これが彼女の名だ。
 
 口の中で名前を転がしてみる。
 恐らくは自分より年上のはずだ。ならば呼ぶならさん、だろうか。
 それにしても。
 普通の買い物のレシートとそう変わらない形のそれが、三枚。
 内容はほとんどが「婦人服」だが、いったい何をそんなにクリーニングに出したのだろう。
   




 近くのスーパーに隣接しているクリーニング店で引き換え票を渡すと、どさどさと大荷物がカウンターに置かれて、予想はしていたが驚いた。
 まずは彼女の仕事着と思しきスーツが上下で何点か。それはいい。
 それからスーツの下に着ているのだろうブラウス。これも素材によっては洗濯機で洗うと縮んだりすることもあるからまあいいだろう。
 だが、キャミソールや下着、タオル、部屋着と思われるスウェットまで一つ一つクリーニング済みのタグが付いてビニールに包まれてカウンターに積まれて、佐助は言葉を失った。
 下着の数からして、これはおそらく一週間分の彼女の洗濯物。
「めずらしいねぇ若いお兄さんが来るなんて!あの子の彼氏かい?」
 店員である壮年の女性が、カウンター越しに笑顔でそう言う。
「えっとー、親戚、です。ちょっと東京観光に来てて」
 なんとなく彼女の名誉のために彼氏と名乗るのは気が引けて、そう言った。
「あのひといつもこんなにクリーニング出してんの?」
「そうよぉ、毎日朝から晩まで働いてるから洗濯機まわす時間がないって言ってね。おかげでウチとしてはお得意様だけど、年頃の女の子がそんな働いて身体壊さないか心配よねぇ」
 佐助はそうだねぇ、となんとなく相槌を打ちながら、これは買い物の前に一度家に戻らないと両手がふさがるなと思っていた。
 それにしても、見ず知らずの男に下着を見られても構わないのだろうか。





 壁の時計が午後九時五十分を指したのを見て、佐助は今日も見るとはなしに見ていたテレビのチャンネルを、彼女が昨夜見ていた報道番組に変えた。
 リモコンをテーブルに置いて、キッチンに入る。
 テーブルには今朝預かった鍵と、スーパーのレシートと、釣銭の九千五百二十円が置いてある。
 コンロの火をつけて、鍋の中身を温め始める。
 彼女の好みがわからなかったので、万人受けすると思われるカレーにした。
 ただしこの時間に女性が食べるならカロリーを気にするだろうと思ったので、具は野菜が中心のスープカレーだ。
 スプーンで中身を掬い、味見をする。
 時間だけは腐るほどあったので、味がほどよく馴染んで我ながらいい出来だった。
 カレーが温まったころ、気配を感じて、一度コンロの火を消した。
 玄関の電気を点ける。
 鍵を回す音がして、ドアが開いた。
「おかえりなさい」
 顔をのぞかせた彼女が、笑う。
「たっだいまー、あ!いいにおい!ほんとに作ってくれたの!?」
「作ったよー、何信じてなかったの?」
 自然な動作で彼女の見かけによらず重い鞄とスーツのジャケットを預かって、佐助はにいと笑う。
「だってあんた正体不明だしさー」
「その正体不明に今朝鍵を預けたのはどこの誰だよ」
 リビングの方へ歩いて行く彼女の背中を苦笑しながら見つめて、ふと佐助は玄関の鍵が開きっぱなしであると気付いた。
 ちょっと、このひともしかして家にいる間は鍵かけなくても大丈夫なひと!?
 あわてて鍵をかけて、佐助はリビングに戻った。





「これ、スープカレー!?こんなの家で作れるの!?」
 着替えた彼女がテーブルにつきながら、大仰に驚いた様子でそう言うので、佐助は眉を下げてキッチンから答える。
「そんなに難しいもんじゃないよ?」
「でもこんなの、こじゃれたカフェとかでしか見たことないわよ?」
 こじゃれたカフェって何その言い方と笑いながら、自分の分を持って彼女の向いに座る。
 それを見て、ビールを傾けていた彼女がわずかに眼を見はった。
「あら。待っててくれたの?」
「え?うんだってひとりで食べてもつまんなくない?」
 大将と旦那に囲まれる騒がしい食卓が常だった佐助が何とはなしにそう答えると、それが意外だったのか彼女はきょとんと瞬きをして、えへへと笑った。
 あ、かわいい。
「ぅわおいし!何これプロ!?あんた料理人だったの!?」
 一口で彼女が大げさなほど驚いたので、佐助はなんだか面白いなと思いながら言う。
「ンなワケないじゃん、こんなのフツーだよ?」
「これがフツーなら私の料理なんか犬のエサね」
「またまた謙遜しちゃって、さんのお粥おいしかったよ?」
 佐助の言葉に、彼女――は眼を丸くした。
「・・・・・・私名乗ったっけ?」
「え?ああ、クリーニングの引換券に書いてあったよ?もしかして偽名だった?」
「ンなワケないでしょ本名よ
「そ、よかった。きれいな名前だね」
 がかすかに、顔を赤くする。
「・・・・・・ありがと」
 その顔に、なぜだか釣られて佐助まで自分の頬が熱くなるのがわかった。
 何コレ。
 ごまかすようにコップの水を一気に飲みきって一息、佐助はに向き直って口を開いた。
「・・・・・・あのさ」
「何?」
 照れタイムは終了したのか、はカレーを口に運びながらテレビを見ている。明日の天気。晴れ、湿度も低くて洗濯物がよく乾くでしょう。
「俺を雇わない?」
 がこちらを向いた。
「は?」
「いや俺仕事探してるんだけどさ。ここのキッチン立派なのに使ってないみたいだし、洗濯物だってまるごとクリーニングじゃ勿体ないしさ、俺そういうのやるよ?」
 の眼は、こちらの真意を探っているように佐助をひたりと見つめている。
 それはそうだろう、見ず知らずの男に突然そんなことを言われたら。
「・・・・・・って言っても家政夫雇うようなお金さすがにないわよ」
「そっか」
 それは残念、と呟いて、佐助は空になった皿を洗おうと立ち上がる。
 至極自然な反応だろう。
 ただ少し気になっただけなのだ。
 ――彼女が、自分と似ているような気がして。
 でもきっと気のせい。
 体調も戻ったことだし、そろそろここもお暇して本当に仕事を探さなくては。
 そう思いながら皿を持ち上げようとした、その手を掴まれた。
「・・・・・・さん?」
「お給料は出せないけど、あんたの衣食住を保障してあげる。それならどう?」
「・・・・・・え?」
 佐助の右腕を掴んで、テーブルに身を乗り出したが、こちらをまっすぐと見上げている。
「あんたを、ここに置いてあげるって言ってンの」
 言われた言葉を、頭の中で咀嚼する。
「・・・・・・いいの?」
「何よ、私が冗談で言ってると思うわけ?」
 本気なのかこのひと。ちらりとテーブルに眼を走らせる、ビールはまだ一缶。昨日呑んでいた量から考えれば酔ってはいない、はず。
「・・・・・・いいんだね?」
 わざと、低めの声で言ってみる。
 しかし彼女は手を離さない。
 むしろ挑戦的にすら見える視線を、こちらに投げてよこした。
「私人使い荒いわよ?」
 その挑戦受けて立つという視線を返す。
「俺様優秀よ?」
 ふたりでしばらく視線をぶつけ合い、
「・・・・・・ぷ」
 同時に噴き出した。
 彼女が漸く手を離す。
「ふふ、じゃあよろしくね?ええと、あんた名前は?」
 そう言えば名乗ってなかったと気が付いたと気づいて、納めた笑いがまた出そうになった。
「――佐助。よろしくね、さん」
「あ、ちょっと待って、そのさんていうのやめてくれないかな、なんか先輩扱いされてるみたいで嫌」
「えー?」
 一応雇い主なのに。
 どうしようかと一瞬考えて、佐助はごく自然な動きでの傍らまで移動し、
 その頬に触れるだけのキスをした。
「じゃ、よろしくね、ちゃん」

 それが、俺とちゃんの出会いだった。


+ + + + +


20120903 シロ@シロソラ