舞台宴弐を見て滾った結果の産物です。微量ながらネタバレがあります。 問題なければスクロールどうぞ。 夏の盛りだ。 じりじりと焦がすような斜陽を避け、陰になったところに座するは、ぼんやりと湯呑を口につけた。 「それで貴様。家康とはいつ、祝言を挙げるのだ」 「げほっ」 前後の脈絡などあったものではない、その剣閃の如くぶった斬るような声色で問われて、飲み込みかけた茶が逆流した。ついでに本来飲み込むべきではない場所に茶が入りかけて、盛大にせき込む。 わずかに涙まで眼尻に溜めて隣を睨んだが、当の本人は全く意に介さない様子で茶を啜っている。 「・・・・・・何の、話だ、三成殿」 少しばかり恨みがましく、なんとか絞り出した声に、三成は切れ長の眼をすいとこちらに向けた。 「祝言の話だ。貴様と家康の」 「いやあのそうだがそうではなくて、」 「貴様は家康に慕情を抱いているのだろう」 湯呑が手からすっぽ抜けた。掴みなおすには気づくのが遅すぎ、残り少なくなっていた茶がの袴に染みを作る。 「うわ」 慌てて懐から手拭いを引っ張り出す。元の色が薄墨だから染みが目立つことはないだろうが、それにしてもなんという体たらくだ。常に平静であれと、あれほど半兵衛からも言われているというのに。くんの欠点はすぐに感情が表に出ることだ、ときにそれは美徳でもあるけれど、将としてはそれではいけない、いつだって平静でなければいけないよ。軍師殿の言葉はまこと耳に痛い。 ・・・・・・ではなくて。 横にずれかかっていた思考を元に戻す。 ――何故三成が、そのようなことを、言うのか。 豊臣軍の一兵卒であるの、それは内に秘めた想いだ。誰かに話したことはないし、またこの先も明らかにするつもりはなかった。何しろ相手は一国の主。豊臣の傘下とはいえ、一軍の大将である。と比べてその立場は天と地ほどの差があるし、それににだって守るべき家があるのだ。戦に散った父と兄の意思を継ぎ、背負うと決めた家がある。 だからこの想いは、生涯身の内に留めておくのだと、決めていた。 それなのに。 よりにもよって、およそ慕情などという感情とは縁遠そうな、治部少輔石田三成から、そんな言葉が飛び出ようとは。 「違うのか」 追い打ちをかけられて、はうろうろと視線を彷徨わせた。 この男に嘘をつくと厄介なことになる。もそれを理解している程度には、三成との付き合いは長い。下手な言い逃れは逆効果である。 一呼吸で、は観念した。 「・・・・・・違わない」 「そうか」 「・・・・・・いったいどこからそんな話が出たんだ」 まさか三成が自分で気づくはずはない、そう考えては聞いてみる。 先ほどからが噎せようが茶をこぼそうが、その仏頂面を全く変えない三成が、さも当然のように答えた。 「刑部が。そう言っていた」 「・・・・・・吉継殿・・・・・・」 どこか遠くを見るような眼で、は呟いた。 まったくもって厄介な御仁に感づかれたものだ。 これは絶対にからかわれる。自分がからかわれるだけなら別にかまわない、だが万一家康の耳に入るようなことがあれば。 「・・・・・・そんな理由で出奔などしたくないぞわたしは・・・・・・」 「何だと」 「いやなんでもない。言葉の綾だ、気にしないでくれ」 何やらどっと疲れたような気がして、は細く息を吐いた。 「それにしても、そこから祝言というのは話の飛躍が過ぎるだろう。わたしが勝手に想いを寄せているだけだ。家康殿には何の関わりも無い」 「家康も貴様を嫌ってはいない。ならば問題はないだろう。貴様の家は先代から豊臣に仕えている、貴様自身も秀吉様のために心血を注いでいる。その貴様を娶るなら、家康の豊臣での立場も盤石になるというものだ」 「めっ、」 祝言の次は娶るときた。その響きに気恥ずかしさを感じて、は己の頬が熱くなるのを感じる。 やはりの様子には構わずに、三成は平坦な声色で続けた。 「それに、貴様が嫁ぐ先が家康ならば、私も要らぬ気をまわさずに済む」 「・・・・・・」 はゆっくりと瞬いて、三成の言葉の意味を咀嚼した。 「・・・・・・なんだかわたしの兄にでもなったかのような口ぶりだな」 そして面白くなさそうに、口先を尖らせる。 「豊臣に仕えはじめたのは、わたしの方が先だぞ」 「歳は私の方が上だ」 間髪入れずに言い返されて、は額を抑えた。確かに三成の方が年上だ。その差がたった一年であっても、人生の先達は敬うべきなのか。 だいたい要らぬ気とはなんだ。そんなに嫁(い)き遅れそうに見えるのか。いや恐らくこのままなら、嫁き遅れるどころか生涯独り身間違いなしだが。 「・・・・・・わたしは戻るぞ。そろそろ出立に向けて支度をせねば」 話はこれで終わりだとばかりに立ち上がる。そのの背に向かって、三成が言った。 「今回の四国征伐、家康の助けにと貴様を選んだのは半兵衛様だ」 「わたしもそう聞いているが」 「半兵衛様も、刑部から貴様の話を聞いておられる」 「・・・・・・!!!???」 一瞬何を言われたかわからなくて、理解した後は全ての思考が止まった。今なら顔から火が出せると思う。は炎のバサラ持ちではないけれど。 「せいぜい家康を口説き落とすことだ、と刑部からの伝言を伝えておく」 「だ、な、・・・・・・ッ、」 ぱくぱくと口を動かして、しかし言葉が何も出てこない。 顔を真っ赤にして、は声を張り上げた。 「あ、遊びに行くのではない!」 「当然だ。さっさと四国を落として来い。それで半兵衛様に『いい報告』をするのだな」 「い・・・・・・!?」 「それから貴様船酔いするだろう。事前に家康から薬をもらっておくのを忘れるな」 もはやどこからどう突っ込みを入れていいかもわからなくて、とりあえずは怒鳴った。 「五月蠅い!!!」 陽 の照りながら 雨 の降る 「豊臣を、離れる」 燭台の火が揺れた。 締め切った室内に風はない、火を揺らしたのは己の身じろぎだとは気づく。 「・・・・・・、」 言葉が見つからなくて、ただすべての表情を顔から落とす。いつでも平静たれ。己に言い聞かせる。 「・・・・・・貴方は疲れているのだ。このところまともに休んでいないだろう。明日はいよいよ海を渡ることになる、早く眠ることだ」 抑揚に欠いた、乾いた声が出た。 では、と短く礼をして、は腰を浮かせ、 「ワシは正気だ、」 穏やかな声が、を制した。 ぎくりと動きを止めて、視線を上げる。 そこには、いつもと同じ、家康の姿がある。 「明日、我が軍は東へ転進する。目指すは相模、――小田原だ」 腰を浮かせた中途半端な体勢のまま、はゆっくりと、口を開いた。 「小田原には豊臣の本隊が在る。太閤殿下の小田原征討がいよいよ始まる頃合いだ。・・・・・・加勢は不要だと、わたしは考える」 「加勢ではない」 家康は真っ直ぐとを見据えて、そして言った。 「ワシは秀吉殿を、――豊臣秀吉を、討つ」 その瞬間、考えより先に、身体が動いた。 傍らに置いていた刀を掴み上げて抜刀、その勢いのまま右足を踏み込むだんという音が響く。 家康は、一寸たりとも動かなかった。 まるでそれがいつもの鍛錬の手合わせであるかのように。 の刃は寸分違わず家康の首筋に添えられている。このまま腕を振るえば首が飛ぶ。 しかし家康は己に向けられた刃など視界にないように、ただひたりとの双眸を見つめ続ける。 琥珀のような色合いのその双眸が、燭台の火の灯りを吸って、黄金(きん)色に、見える。 「な、にを・・・・・・、言っているのだ・・・・・・!」 平静でなど、いられなかった。 今度こそ、声が震えた。 その震えが腕に伝播して、刀がかすかな音を立てる。 「ワシはこの戦の世を終わらせる。そのために、豊臣秀吉を討つ。我らは四国へは向かわず、このまま小田原に攻め入る、その心づもりでいてくれ」 家康の言葉に、は眉を跳ね上げた。 「何を言っていると、聞いているのだ!よもや貴方は謀反を企てるというのではあるまいな!!」 頼むから否定してくれ。 そう願ったのに、家康は首を横に振らない。 「そうだ。これは、謀反だ」 「ふざけるな!貴方は・・・・・・っ、豊臣に必要な存在だ・・・・・・!貴方はわたしたちの、仲間だろう!!」 喉の奥が痛い。 この男が謀反など、起こすはずがない。 こんなことは、ありえない。 そう思うのに。 家康は答えない。 仲間ではない。そう言うつもりか。 は一度奥歯を噛みしめて、そして唸るように、言った。 「・・・・・・、いつ、から。翻意を抱いていた」 一朝一夕でこんな決断を下すはずがない。そう考えて、は問うた。 いつから、自分たちを、裏切っていたのか。 ――家康が豊臣軍に下ったのは、が女ながらに家督を継ぎ、三成が秀吉に拾われてやってきた、その少し後だった。 徳川軍の総大将という矜持を持っていた少年と、家を継いだばかりで周りの男たちと肩を並べるべく気を張っていたは、当然ながらよく衝突した。あの頃はも三成も初陣前で、ひとり戦場を知っていた家康を羨んだのも一因だったといえよう。取っ組み合いの喧嘩など日常茶飯事で、生傷ばかり拵える日々だった。当時精神的に最も大人だったのは三成で、くだらないことで争うなとよく説教を食らったものだ。 あれから、三人はいつでも一緒で。 「ワシは己の思いを変えたことはない」 家康の静かな声が、耳朶を打った。 「乱世を終わらせる、それは幼き日からのワシの夢だ。秀吉殿ならあるいはと考えていたが、やはり力に頼るのではいけない。力による征服は、必ずまた力によって覆る。これでは何も、変わりはしない」 ――刀を振るうのが恐ろしいと、悩んだこともあった。 人を斬るのが怖い。そう思って刀を握れない日もあった。そのを叱咤したのは家康だった。この世に泰平をもたらすために振るう力だと。犠牲を越えて、世を拓くのだと。 「だが、それは矛盾している・・・・・・、貴方が太閤殿下を力で葬るというなら、それは太閤殿下がなさることと何も変わらないではないか」 世に泰平をもたらすため。もそう心得て、人を斬ってきた。そうしていればいつか終わるのだと、信じて。 ――終わりは来ないかもしれないと、薄々感づいては、いたのだ。 太閤秀吉は、日ノ本を統べることを通過点だと言いきった。目指すはその先、世界なのだと。 戦いは終わらない。心のどこかでそう悟って、そしてそれを受け入れて、は戦ってきた。 それだけの理由はあった。己を生きながらえさせてくれた豊臣への大恩、家族にも等しい三成への信愛、そして。 「今はその矛盾を、あえて受け入れよう。ワシは力に抗うために、力を使う」 ・・・・・・どうしてこの男は、こんなにも平らかで、静かなのだろう。 欠けるところなど何一つ無いかのような。 「何があろうと、ワシは立ち止まらない」 いつからこの男は、こんなに凪いだ眼をするようになったのだろう。 「ワシが、絆の力で、天下(てんが)を治める」 「・・・・・・」 ああ。 なんて遠いのだろう。 今でも刃が触れる近さだというのに。 それなのに、眼の前の男が、どうしようもなく、遠い。 「・・・・・・何を言っても、貴方はその志を変えないのだな」 「・・・・・・そうだ」 予想通りの返答に、は短く息を吸って、吐いた。 この男の眼に映るのはこの世の全て。天下というもの。 ・・・・・・わたしなど、こうして目線を合わせていても、視界に入ってなどいないのだろう。 それならば。 「ならば、わたしを殺して行け」 「!」 漸く、家康が表情を動かした。 何故、そこで驚いたような顔をする。 わたしなど、もはや見えてもいないくせに。 「構えろ。わたしは本気だ。手合わせで貴方に勝てたことは無いが、それでもわたしは全力でいく。貴方はわたしの心の臓を、その拳で貫いて行け。それだけの覚悟が、あるのだろう」 さあ。 わたしを、殺せ。 ――家康が、眉を持ち上げた。 怒ったような、顔だ。 いよいよ己の命運も尽きるのかもしれない。だが何もせずにおめおめと殺されるつもりは毛頭ない。その拳にひとつでも傷を残して死んでやる。そう考えて、刀を握る右腕に力を籠める。 家康はやはり刃を気にかけることなく、ただ、を見据えた。 「・・・・・・ワシに、そのつもりはない」 「っ、」 家康の言葉に、はひくりと眉を動かす。 「それでは力に寄る征服と何ら変わらない。だから、ワシを斬るに足ると思うなら、遠慮なく斬ってくれ」 「な、」 何を。そう言おうとして、それを遮るように家康が続けた。 「もとより日ノ本すべてを絆で結ぶ覚悟。ここでひとり納得させられないなら、ワシはそれまでの男ということだ」 その瞬間。 眼の前が熱く、燃えるように感じた。 わたしのことなど見ていないくせに。 いったいどの口が、そんなことを紡ぐというのか!! 「侮るな!わたしは本気だと言っている!!」 右腕をわずかに動かした。 刃が、家康の首筋に食い込んで、皮一枚をぷつりと裂く。 そこから流れる、ひとすじの、紅。 「ああ、ワシも、本気だ」 黄金色の双眸が、を捉えて、離さない。 ・・・・・・貴方はいったい、どこへ行くつもりなのだ。 三成も自分も置いて、ひとりでいったいどこへ。 「・・・・・・っ」 最初から、答えは決まっていたのかもしれなかった。 初撃で家康の首を切り飛ばさなかったそのときには、全てが決していたということなのだろう。 の右腕が力を失って、だらりと開いた指の間から、刀が滑り落ちた。 床板に当たって、堅い音が響く。 かくりと膝が折れて、倒れかかった上体を家康に支えられた。 「わたしは・・・・・・、太閤殿下を、半兵衛様を、・・・・・・三成殿を。裏切るのだな」 「・・・・・・」 握りしめた爪が、掌に食い込むのがわかる。 「苦しい。眼の奥が痛い。喉も、心の臓も。・・・・・・家康殿、貴方も、痛いと思っているのか」 ぽつりぽつりと独り言のようにつぶやいたの言葉に、家康は是とは答えなかった。 「・・・・・・痛みを、忘れるつもりはないんだ。だが今は、前に進む」 視線を上げる。 間近に、家康の顔がある。 こんなに近くにいるのに、何故だか、この男が消えてしまうような気がした。 すべてを断って、手の届かないどこかへ、行ってしまうような気が。 ・・・・・・させるものか。 視界が滲みそうになるのを、瞬きを繰り返してなんとか堪える。 「・・・・・・わかった。わたしは貴方を斬らない」 「、」 「そして、許さない」 眉を下げかけた家康にたたみかけるように、は言った。 「貴方が、貴方の夢のために、犯す罪を。わたしは許しはしない。いつだって、わたしは貴方の傍で、その罪を見ていよう」 家康の双眸を、真正面から見据える。 もはや睨みつけると言ってもいい。決闘でも申し込もうかという視線。 「貴方を孤独な天下人になど、絶対に、させない」 視線の先、家康が、ゆっくりと、表情を動かした。 ああ、懐かしい顔だと、思う。 昔、悪戯で、襖を開けたらたらいが落ちるように仕掛けて、まんまと引っ掛かってくれたときのような。 脳天にたらいの直撃を受けて怒るかと思ったら、ただ眼をまんまるにして驚いていたのだ。 あのときと同じ顔。 「、」 家康の腕が、の背にまわる。そのままそうっと、抱き寄せられた。 まるで舶来の銀細工にでも触れるかのように。 「・・・・・・ありがとう」 雨が、頬を打つ。 空が暗い。さきほどまで晴れていたのに。 静かだ。 が立つまわりには、物言わぬ骸しかない。 他にはひしゃげた刀、折れた弓矢、そして千切れた黒の旗に描かれているのは、かつても掲げた五七の桐。 耳を澄ませば、風に乗って慟哭が聞こえてくる。 ここからはかなり距離がある、切り立った岩山の頂、そこから耳に届く、叫び。 いつまでも続くその悲痛な声を、は雨で全身を濡らしながら、聞き続ける。 「――」 隣から、声が降ってきた。 ゆるりと視線を動かす。 山吹色の上衣の、頭巾を被った男の姿。 「身体が冷える。行こう」 「もう少し」 傘のつもりなのか、己の腕をの頭上に翳してそう言う家康に、は首を横に振った。 の様子にわずかに嘆息して、家康は視線を動かす。 今なおひとりの男が絶望の声を上げる、その岩山の頂へと。 「・・・・・・ワシの、罪だ」 「・・・・・・わたしの罪でも、ある」 雨脚は弱まらない。 水滴がの頬を伝って、顎から地へと垂れていく。 風が、吹いた。 雲の切れ目なのか、明るい陽の光が、帯のように連なって降ってくる。 その光の帯の中を、煌々(きらきら)と輝きながら、無数の雨粒が、落ちていった。 material by moss 20131128/シロ@シロソラ |