「宣誓!!」
 見上げれば、眼に痛いほどの青。
 真夏の、朝だというのにぎらつく太陽の下、聞こえるのは遠く鳴き始めた蝉の音と、この夏のために商店街の洋裁店が作ってくれた揃いのTシャツ姿の同級生たちの息遣い。それらが感じ取れるほど静まり返った中、球場すべてのスピーカーから、凛とした声が響く。
「これまで共に鍛錬を重ねてきた仲間たちと、自分の力を信じて」
 球場を埋める四万人の大観衆が、その一点を見守っている。
「スポーツマンシップに則り、正々堂々とプレーすることを、ここに誓います!」
 彼のことだ、失敗なんかしないだろう。
 そう、頭では理解していても、メガホンを握りしめる手は、汗に濡れている。足が、震える。
「八月八日、選手代表、」
 そういえば、こんなに大きな彼の声を聞くのは初めてだと気付く。
「長野県立千曲上田高等学校、野球部主将、――真田幸村!」
 ――大歓声が、ひとつの塊になって、観客席のにもぶつかってきたのがわかった。
 夏の高校野球、長野県大会で波乱あり。
 の家でとっている地方新聞が、スポーツ面で写真つきでそう報じたのが、ちょうど終業式の日だった。
 県大会二回戦が行われ、全国大会常連校である大学付属の私立高校を、万年二回戦敗退の無名の県立高校が破ったのである。その大金星の瞬間をカメラが捉えていたのは、ひとえに強豪校の初戦を記者が追っていたからで、誰も予想だにしなかった出来事だった。
 が通うその県立高校の快進撃は止まらず、ついに県大会を優勝、全国大会への切符を手に入れた。
 それだけでも地元の駅に横断幕が掲げられ、商店街にはのぼりが立つほどの大騒ぎだというのに、その後行われた組み合わせ抽選会で主将が選手宣誓を引いてきたのだから一大事だ。
 地方新聞の一面にエースナンバーを背負う彼の写真が大きく載ったその朝、いてもたってもいられず、は父親から新聞をひったくると、隣の家に駆けこんだ。
「あらおはようちゃん」
「おはようございますおばさま!幸はいますか!!」
「さっきジョギングから帰ってきたから部屋にいると思うわ」
「ありがとうございますお邪魔します!」
 つっかけてきたゴム草履を放るように脱ぎ捨て、二階への階段を駆け上がる。
ちゃん朝ごはんは?」
「食べてきましたありがとうございます!」
 背後から聞こえた声にそう答えて、は叩きつけるように襖を開けた。良い音がした。
「幸、おはよう!」
「・・・・・・あぁ、おはよう
 日に焼けて明るくなった髪の毛がシャワーの後だからだろう濡れていて、スポーツタオルを肩にかけてスウェットを履いた彼が、こちらを向いた。
「見て見て見て!幸が載ってる幸が!かっこいい!!」
 胸を張って自慢げに新聞を突きだすに、彼女の幼馴染で上高(うえこう)野球部エースピッチャーの主将、真田幸村が呆れたような息を吐く。
「・・・・・・、そなた年頃の女子(おなご)なのだから、そのような格好で出歩くな」
 寝ていたそのままの格好で来たから、スポーツブラの上にキャミソール、短パンという格好のは、引き締まった幸村の身体をびしりと指さして答えた。
「なに言ってんの幸だって半裸じゃない」
「それは今風呂上りだからだ、それに俺は男だから」
「そんなのずるいわよ」
「ずるくはない」
「ずるい」
「ずるくはない」
「ずる」
「ハイハイお二人さん、いつもだけど会話が不毛だから」
「あれ佐助いたの」
 は初めて、そこにいたもう一人に気づく。
 いやまあいいんだけどね、といって頬を掻く彼は、上高野球部の敏腕マネージャー、猿飛佐助だ。
「ってか旦那、ちゃんが勝手に入ってくることは突っ込まないのね」
「おかしいか?」
「おかしいの?」
 二人から同時にそう聞かれて、佐助は肩を落とす。
「いやいいよ、アンタらはそれで。――じゃぁ旦那、俺様先に行くけど。練習九時からだから遅刻しないようにねー」
「うむ、後でな」
「またねー」
 ひらひらと手を振って出ていく佐助を見送って、は改めて新聞を幸村に押し付けた。
「幸ん家は新聞違うでしょ?だから一番に見せなきゃと思って!」
「そうか、かたじけない」
 幸村は新聞を受け取ると、畳に腰を下ろす。
 は当然のように幸村にぴたりとくっついて座り、一緒に紙面を覗き込む。
 ――上田が生んだ炎のピッチャー、選手宣誓を射止める!
 大きな題字が躍る一面記事を確認してから、幸村は詳細記事が掲載されているスポーツ面を開こうとして、気づいたがそのページをめくった。幸村はの身体越しに手を回して新聞を広げる。
 これまでの戦歴、全国大会での組み合わせ、一回戦の対戦校の情報などが綴られている記事を、幸村は無言で読んでいく。
 も一緒に文字を目で追う。早朝の涼しい風が窓から滑り込んできて、シトラスの香りがの鼻をくすぐった。
 真田家のボディーソープの香り。
 なんということはない、市販のボディーソープの香りだが、は幸村からするこの香りが、大好きだ。
 ――真田主将のコメント、『全国大会の名に恥じぬ宣誓を致します』。
「かっこいいねぇ幸」
「そうか?」
「宣誓の言葉は?もう考えた?」
「本番までは誰にも言わぬ」
「そっか、楽しみにしてるね!・・・・・・あーでもこれでまたファンが増えるねー、差し入れ増えたりするんだろうな、わたしもタオルとかお守りとか渡されそうになったりさ、あとメアド教えてーとか」
 メアドは本人に聞いたらいいのにね、とがぼやくように言う。記事から眼を離さないまま、幸村は疑問を口にした。
「・・・・・・何故そなたがタオルをもらうのだ」
「幸に渡してって、女の子たちからよく言われるの」
 幸村の視線が、かたわらののつむじに移る。この角度では、表情まではわからない。
「・・・・・・俺はそのようなものをそなたから受け取った覚えがないぞ」
「だって全部断ってるもん」
「なぜだ」
 つむじがふるりと動く。
「んー、なんだろ。なんかヤだから」
「そうか」
「幸は?」
 が顔を上げてこちらを見る。大きな眼が、こちらを見上げている。
「例えばわたしにファンがいたとして、そのひとからわたしへのプレゼント預かるのって、どう?」
 幸村はしばらく考え、
「・・・・・・何か嫌だな」
「でしょ?」
 はにこりと笑うと、するりと幸村の腕から抜け出して立ち上がった。
「そろそろ準備しなきゃ遅刻するね」
 そう言って部屋の窓枠に足をかける。
 幸村の部屋との部屋は窓同士が向かい合っていて、その間は三十センチもない。
、いい加減そこから出入りするのは、」
「だってこっちの方が早いもーん」
 練習がんばってねー、と言い置いて、はひらりと隣家の窓に飛び込んでいく。
「・・・・・・まったく」
 幸村は息を吐いて、新聞を畳んだ。











 ――『大会十日目、二回戦をお送りしております。長野県代表千曲上田高校対宮城県代表奥州学園、零対零で迎えた九回裏ツーアウト、ここで奥州の主砲の登場です』
 ――『聞こえますでしょうかこの大歓声!一回戦では大会記録と並ぶ三本ものホームランを量産した今最も注目を集めている四番、伊達選手がバッターボックスに入ります!』
 ――『ピッチャーマウンドのエース真田も、この試合で大会記録に迫る百五十キロ越えの剛速球を投げています。大会初日の一回戦では開幕試合をひとりで投げ切り見事完封勝利を収めたのが記憶に新しいところです。いやあ注目の対決ですね!』
 ――『フルカウントからの八球目、あっと、真田はキャッチャーの指示に首を振っていますね』
 ――『最高速度を叩きだしたのはストレートですが、やはり決め球はこの試合でピカイチの精度を誇っているスライダーでしょうか』
 ――『決まったようです、振りかぶって、投げた――打った!』
 ――『高い高い!これは・・・・・・入った!入りました!!サヨナラです!サヨナラホームラン!!』
 ――『伊達はゆっくりとホームに戻ってきます、一対零、奥州学園の勝利です!!』
 ――『最後はストレートで直球勝負に挑んだ真田、おっとどうやら少し笑っているようですね』
 ――『満足げな表情です、力を出し切ったということなのでしょう!いやあ素晴らしいピッチングでした!』











 十八年間生きてきた中で、一番暑かった夏は、目まぐるしく終わっていった。
 ようやく涼しくなってきた夕方の図書室、は眉間に皺を寄せて参考書と睨みあっている。
、そこまた計算ミスしているぞ」
「ぅえっ」
 変な声を出して慌てて計算しなおす。数学は嫌いだ。だが幸村と同じ国立大に進むには、避けては通れない。
 ちらりと向かいに座る幸村の様子をうかがう。
 理系の彼は、には理解不能な数列を黙々と解いている。
 一度マウンドに上がれば紅蓮の鬼とも言われた剛腕ピッチャーも、こうしていれば物静かな高校生だ。
 全国大会二回戦敗退校の選手としては異例なほどの、球界からたくさんあったスカウトを全て断って、幸村は大学進学を選択した。
 しかもスポーツ推薦ではなく一般入試を受ける予定だ。
 と違って真面目で、成績はもちろん、日頃の授業態度もすこぶる良いから指定校推薦だって受けられるはずなのに、なぜかこうやって毎日と一緒に受験勉強をしている。
 こうしていると、まだ二ヶ月ほどしかたっていないあの夏の日々が、遠い昔のようだ。
 ふと思い出して、は口を開いた。
「ねえ、幸」
「なんだ」
「あの、選手宣誓さ、なんであんなシンプルだったの」
「シンプル?」
 は言葉を探し、
「ほら、高校野球の選手宣誓って、日本中を熱くするとか、観てる人に夢と感動を与えるとか、そういうの多いじゃない」
 幸村が参考書から顔を上げる。
「・・・・・・選手宣誓とは元来、観衆の前で己は卑怯な手を使わずに正々堂々と戦うということを誓うものであって、その結果を観衆がどう受け取るかというのはまた別の話だからな」
「ふうん?」
 幸村の言葉はときどきとても難しい。
 が、そういうときは必ずにもわかるように補足をしてくれる。
「俺はひとりの野球選手として、己にできることを宣誓したまでだ」
「そっかぁ」
は、そういう、夢と感動を与えるといったような宣誓がよかったか」
「んーん。幸のがいい。なんだっけ、そう、イサギヨイ?から」
 以前に幸村が使っていた言葉を真似して言うと、幸村は穏やかに笑った。
「そうか」
 その幸村の、優しい鳶色の瞳が、窓から差す夕陽の色を吸って、太陽みたいな色に見える。
 はその眼が大好きだ。

 じっと見ていたら眼が合った。
 こう見ると男の子なんだなぁと妙に他人事みたいに思う。
「『観衆』はそなたひとりだが、聞いてくれるか」
「うん何?」
 幸村が、こちらをまっすぐと見つめて、言う。
「――宣誓」
 その表情は、とても、静かだ。
 は、幸村の真摯な声色が大好きだ。
 真田幸村を構成しているすべてが、だいすきだ。
「早瀬を、この先一生、傍で守り抜くことを誓います。――真田、幸村」
 風が窓から舞い込んで、褪せた黄色のカーテンがふわりと揺れる。
 は今耳に入ってきた言葉を頭の中でゆっくりと咀嚼してから、口を開いた。
「幸せにするって言わないところが、『宣誓』なんだね」
「俺にできることしか、誓えないからな」
「じゃあ」
 はひとつ瞬きをして、幸村を見つめた。
「宣誓」
 緊張はなかった。
 りんごが木から落ちるのと同じように、光が音より速いのと同じように、それはまるで自然の摂理のごとく、の中にあったから。
「真田幸村のとなりでこの先一生、幸せになることを誓います。――
 幸村が、少しだけ顔を赤らめたのがわかった。
 つられて少しだけ照れくさくなって、えへへと笑う。
「わたしにできることなら、誓っていいんでしょ」
「――ああ」
 かたんと椅子の音がして、幸村がこちらに身を乗り出す。
 自然と、は眼を閉じる。


 そうしてふたりは初めての、キスをした。



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元々このお話は企画サイト「player oath!!」のサンプルテキストでしたが、企画提出作品が増えてきたこともあってサイトから下げていたものを、加筆・修正しました。
夏と幼馴染とスポーツの組み合わせは、やはり鉄板です。

material by Sky Ruinsweb*citron
2013.08.08 シロ(シロソラ)