「クリスマスなんて、大っ嫌い」
 駅前のビジネスホテルの一階に入っているチェーンのカフェで、店内用のマグカップに突っ込んだマドラーをくるりとかき混ぜて、が眉根を寄せて忌々しげに言い放つのを、同じくマグカップを持ち上げた慶次は眉を下げて見つめた。
 慶次のマグカップで湯気を立てるのは、期間限定のクリスマスなんとかラテで、こんもりと盛られたクリームをベリー色のパウダーで彩って、ナッツと金箔の欠片を散らした、女の子が好きそうな一品だ。対してのマグカップの中身は鉄壁のソイラテで、彼女が甘党だと知っている慶次にしてみれば意外な選択だった。もっと彼女の興味をそそるような可愛らしい甘そうなラテが他にもあるのに(その筆頭が期間限定クリスマスなんとかシリーズだ)、クリスマスと名のつくものはとにかく憎いらしい。そんなの言いだしたらきりがないと思うのだが、は時折妙なところで頑固だ。
「だいたいおかしいじゃない、クリスマスはそもそもキリストの誕生日でしょ?キリスト教徒でもないくせに、なんでみんなこんなに盛り上がってるわけ?バレンタインと同じよ、クリスマス商戦とか言ってるメーカーだか商社だかに踊らされてるだけなんだから、不謹慎だと思わない?」
 それにしても今日のはいつにも増してご立腹だ。
 確かにクリスマスはイエス・キリストの誕生日なんだろうけれど、死ぬ時以外はほとんど無宗教な日本人にはそれが一種のお祭りとして受け入れられたわけで、それはそれで文化のひとつだ。楽しいことがあるなら乗っかりたくなるのが人の性(さが)で、それ自体に良い悪いはないと、慶次は思っている。
 そう思ってはいるけれど、慶次は口には出さない。
 徹底的に機嫌を損ねているには、何を言っても火に油だ。こうなってしまったら、気が済むまで言わせてやるのが最も手っ取り早い方法であると、付き合いの長い慶次は身に染みて知っている。
「節電のご時世だっていうのにあんな電飾つけまくって、電力会社の策略なんじゃないの。ちょっと電気代がかさんでもきれいならいいってか、ほんと馬鹿みたい」
 ここは繁華街の中心からは一駅外れているが、駅前広場には大きなクリスマスツリーが立っていて、夕闇の中で色とりどりのイルミネーションがぴかぴかと光っているのが、このカフェからも見える。
 窓の向こうを横目で眺めながら、慶次はマグカップの中身を一口。甘いにおいが口の中いっぱいに広がるのがわかる。
 電気代が嵩張ろうが、少々無理をしてでもこうしてクリスマスの雰囲気を高めれば、それだけ見る人の心も躍るわけで、そうすることで皆の財布の紐も緩くなるわけで、は否定的に言うけれど、クリスマス商戦は日本経済を回すための格好の手段なのだ。
 良いも悪いもないと、やはり慶次は思う。
 それでも目の前の友人の顔つきは冴えない。
 頬を膨らませながらソイラテの豆乳の泡を睨んでいるその姿を見て、慶次はひとつため息を吐いた。




 事の発端は、つい昨日のことだった。
 が、彼氏に振られた。
 その少し前に、今年のクリスマスのデート計画について自慢げに話すのを聞かされたところだった。相手の男はや慶次と同い年で、学生の身には少し背伸びではあったがレストランのディナーを予約した、プレゼントは欲しがっていたブランド物のキーケースをすでに買ってある、今年のイブは祝日だから昼間は繁華街の一角で開催されているクリスマスマーケットに行こうと思っている、エトセトラ。その彼氏と過ごす初めてのクリスマスに、ずいぶんと盛り上がっている様子のの話を、慶次は終始笑顔で聞いた。恋する女の子はみんなかわいいというのは慶次の持論だが、その中でもはずば抜けている。元来少し理屈っぽいところがある彼女が、子どもみたいに眼を輝かせて恋の話をするのは本当にかわいいのだ。
 ところが、その理屈っぽいところが、こと交際関係においていかんなく発揮されると、相手の男は腰が引けてしまうらしい。「なんかお前、重い」というのがが振られるときの常套文句で、そうやって振られるたびにひどく落ち込むをなだめるのも、慶次はもはや慣れっこだった。
 昨日の夜、バイト明けに携帯を確認するとからの着信が一件。掛け直した時から、は不機嫌だった。
「明日暇?」
「明日?うん、バイト休みだけど」
「じゃあ質屋行くから付き合って」
「質屋?」
 聞き返したが、はその後待ち合わせの時間と場所だけ告げて一方的に電話を切った。
 翌日、つまり今日だが、待ち合わせにやってきたの眼の下にはびっくりするような隈ができていて、何があったと聞いたがやはり答えてはくれず、二人で入った質屋でがブランド物のキーケースを取り出した瞬間、慶次は全てを理解した。
 今回は半年。にしては、よくもった方だ。前回は確か三ヶ月と少し、ひどいときは一ヶ月に満たずに振られたこともある。
 慶次がの交際期間を把握しているのは、付き合い始めたときにが逐一報告してくるからだ。あの、子どもみたいなきらきらした笑顔で。
 逆に、別れたときはは何も言わない。今回のようにすぐに連絡してくるのは稀で(恐らく質屋にひとりで入るということに抵抗があったのだろう)、ほとんどの場合は連絡が途絶えるのだ。心配になって呼び出すなりしてを捕まえると、「振られた」と口を割るのである。都合の悪いことについて率先して愚痴を言わないのは、妙に頑固なの美徳ではあるのだが、そうは言ってもあんな極端に落ち込んだ様子でいられてもこちらが心配になるだけだ。それなら素直に言えばいいのにと、慶次は思う。
 質屋を後にして、とりあえずお茶でもどう、とのお気に入りであるこのカフェにやってきて一息ついたところで、冒頭のひとことに至る。
 クリスマスなんて大っ嫌い。
 あんなにクリスマスを楽しみにしていたのに、人のこころって難しいな、と慶次は頭の隅で考えた。
「だいたい、クリスマスって平気でひとを裏切るじゃない」
 ちなみに、怒りの矛先が彼氏、いやもう別れたから元彼だが、その彼にではなく、クリスマスに向くのも、の長所のひとつだ。はひとの悪口は言わない。もっとも、今回のようなケースでは、元彼のことなど思い出したくもないだけかもしれないが。
「ひとを浮かれるだけ浮かれさせといてさ」
「うん」
 口の周りについたクリームを舐めながら、慶次は相槌を打つ。けっこう適当にしているが、に気づいた様子はない。は、話を聞いてさえくれれば、こちらが無言でも気にしない。恐らく相手が誰でも気にしないのだろうと思う。ただ、のこの屁理屈オンパレードに付き合えるのは自分くらいのものだ。
「サンタだってそうよ、そんなの存在しないくせに子どもをだましてさ、実は親でしたなんて聞いたときのショックったらないわよ。五年生まで私、信じてたのに」
「ああ、はそういうの信じそうだもんね」
 適当な相槌だったのだが、がそこで固まった。
「・・・・・・あ、」
「ん?」
「ごめん、悪い意味じゃなかったの、」
 急に声の調子を落としたに何事かと慶次は視線を戻して、
「――あぁ親の話?そんなのが気にすることじゃないって」
 ひらひらと手を振る。
 慶次には、両親の記憶がない。
 慶次が物心つく前にふたりとも事故で亡くなったと、養父である伯父から聞いている。
 もそのあたりの事情は知っている。頭に血が昇っていてもそういうことに気を使える、それもの長所のひとつだ。
 それに、伯父夫婦が本当の家族同然に自分を扱ってくれていることを慶次はきちんと理解していて、自分の境遇について不幸だとか恵まれないなどとは考えたこともない。だからほたるが気にするようなことではないと、慶次は笑う。
「サンタだって、うちは今でも来てくれるよ?」
「・・・・・・え?」
 が眼を丸くした。
 その顔に、「あんた大丈夫?」と書いてある。思っていることが顔に出やすい、これもの長所だろう。
「ちなみに、サンタクロースはキリスト教とは関係ないんだって知ってる?」
「え、そうなの?」
「いや起源になったひとは教会のえらい人らしいんだけど、別に宗教的な行事だったんじゃなくて、ただその人が貧しい家にこっそり贈り物をしたのが始まりなんだって」
「へえ、あんたたまに変なところで博識よね」
は基本俺のこと馬鹿だと思ってるよね」
「そ、んなことないわよ」
「・・・・・・ほんと嘘つけないよね。――ま、いいや、それは置いといて、そういうわけだから、サンタがキリスト教徒以外の人にも来てくれるのはべつに不謹慎じゃないだろ?」
「・・・・・・まあ、そうね」
 どうやらはそろそろ落ち着いてきたらしい。素直にこくりと頷いたので、慶次は内心胸をなでおろす。
「で、さ。サンタクロースっていうのは、厳密には姿かたちのはっきりした人間じゃないんだ」
「・・・・・・トナカイに引かれたそりで空を飛んでやってくる人間がいるとは思ってないけど」
 胡散臭そうにこちらを見るに、慶次は自分の頬が緩むのを感じた。ほんとこのこ、わかりやすい。
「つまりどういうこと?サンタは幽霊かなんかだとでも言いたいの?」
「んー、ちょっと近いかな」
「?」
 が首を傾げる。
 慶次は穏やかに笑って話を続ける。それを教えてくれたときの養母の笑顔を、思い浮かべながら。
 ――『いいですか、慶次。サンタさんというのは、――』
「サンタってのはさ、ひとの心に宿る、『誰かを喜ばせたい』っていう気持ち、なんだよ」
「・・・・・・気持ち?」
「そう。そもそもさ、サンタが親だったとして、それでも自分の子どもを騙そうと思ってわざわざ毎年プレゼントを用意するわけないだろ?の父さんと母さんもそんなひとだとは思わないけど?」
 ぐ、とが言葉に詰まった。
 慶次はテーブルに肘をついて、の顔を覗きこむ。
「世界中のあらゆる人の心に、その人にとっての大事なひとを喜ばせたいっていう気持ちがあって、それがみんなサンタなんだ。まあ時期がクリスマスなのは、何か理由がないとプレゼントなんてしにくい人たちの照れ隠しなんじゃない?初めにサンタの心を持ったその教会のおえらいさんも、キリストの誕生日ってめでたい日だからそんなことしたのかもしれないしさ」
 ね?と笑ってから上体を起こした慶次は、マグカップを傾けて中身が空であることに気が付いた。のクリスマスに対する屁理屈を聞き流していたら、いつの間にか飲み干していたらしい。
「ちょっと何か買ってくるね、何かいる?今日なら特別に奢るよ?」
「んーん、大丈夫。ありがと」
 浮かない顔で答えるマグカップの中、とっくに冷めたソイラテが少しも減っていないのをちらりと見てから、慶次はジーンズのポケットに財布を突っ込んで立ち上がった。




 慶次は、不思議だ。
 はいつも、そう思う。
 初めて会ったときのことを、今も覚えている。父親の転勤でこの町に引っ越してきて、小学五年生の三学期からというものすごく中途半端な時期に転校したものだから、当然友達なんかできなかった。自分を取り巻く環境の変化や、親に芽生え始めた反抗心などが複雑に絡んで、情緒不安定な時期だったのだ。休み時間はいつも教室にひとりで本を読んだりしていて、その手を引いたのがクラスで一番の人気者の慶次だ。本当は寂しかったはその手を取って、そうして巻き込まれた真冬の寒空の下のドッジボールは死ぬほど寒かったけれど、十年と少しの当時のの人生で一番楽しいドッジボールだった。それをきっかけに、友達ができた。
 中学からは女友達と一緒にいることの方が多かったけれど、顔を合わせればいつも笑顔で話しかけてくれた。高校受験の直前は、思うように成績が伸びなくて泣きそうになりながら図書室で勉強していたら、突然現れた慶次が隣で漫画を読み始めたから驚いたのを、今でも明確に頭に思い浮かべることができる。推薦で進学が決まっていた慶次を「邪魔するならどっか行って」と邪険に追い払おうとしたが、「邪魔はしないから」と言い張って、事実勉強しているの隣で一言も発さずに、毎日漫画を読み続けていて、ふたを開けてみれば第一志望の進学校に合格した。そういえば大学受験の直前も似たようなことがあったと思う。高校・大学と慶次とは別の学校に通っているのだが、家は近所だから顔を合わせる機会はそう少なくはない。
 高校に入ってからは、慶次にも彼女がいたりしたようだが、が聞かなければ自分から話してくれることは少ないのでよくは知らない。慶次は恋バナが大好物なくせに、自分の話はあまりしないのだ。それでも、にはいつも適確なアドバイスをくれる。大学に入って初めて彼氏ができたのも、慶次のアドバイス通りに動いてみたおかげだ。
 そう、慶次の傍にいれば、いつも何でも上手くいった。
 女友達は、そんな慶次の存在を知るといつも「付き合ってるんでしょ?」と聞いてくる。そのたびに、そんなわけがないと答えている。
 初めて会ったあのときから、気が付けば傍にいることが多かった。親同士も面識があるような状態で、もはやその関係は家族に近い。お互い今更恋心なんて抱くわけがない。
 とはいえ。
 その関係はもっぱら、慶次の方からの傍に寄って来てくれたから出来上がったものだ。初めて会ったあのときから。そうでなければ、男女の間の友情が、この年まで続くとは考えられない。には他の男の人と、こうして友情関係を築くなどということは想像もつかない。
 それが、不思議だ。
 考えれば考えるほど、慶次はにとって都合の良い存在である。
 嬉しいことがあれば一緒に笑ってくれて、落ち込むことがあれば話を聞いてくれる。
 どうして慶次はそんなことをしてくれるのだろう。
 は慶次に、何かをしてあげた記憶なんてほとんどないのに。
 手遊びに、マドラーをくるくると動かす。冷めきったソイラテに口を付ける気も起きない。そもそもは豆乳が苦手なのにこれを頼んでしまったのは、レジの店員にクリスマス限定のなんとかラテを勧められたことへの八つ当たりだ。無性に腹が立って、メニューのクリスマス何とかラテの大きな写真の隣のものを指さした。それがソイラテだった。ほんと馬鹿みたい、と自嘲する。
 こんな馬鹿みたいな自分を、どうして慶次は見限らないのだろう。
 湯気を立てたマグカップを片手に、慶次が戻ってきた。
 ぼんやりと、それを見上げる。
「・・・・・・どうして」
「ん?」
 マグカップを持ったまま、財布をバッグにしまう慶次を見上げながら、はつぶやくように言った。
「どうして慶次は、ここにいてくれるの」
 こちらを見下ろした慶次が、少し驚いたように目を丸くした。
 そしての前のソイラテを取り上げて、代わりに自分が持っていたマグカップをそこに置きながら、椅子に腰を下ろす。
「・・・・・・あんたこれ、」
 の眼の前に置かれたのは、先ほどまで慶次が飲んでいた、クリスマスなんとかラテだった。
 こんもりと盛られたクリームを彩るベリー色のパウダー、その上に散らばっているのはナッツと金箔の欠片。
「それ、飲みたかったんでしょ?」
「でも、」
「今日なら奢ってやるからさ、それに俺、ちょうど甘くないのが欲しかったし」
 そう言って、慶次はから取り上げた冷え切ったソイラテに口を付ける。
「ほら冷めるよ?好きでしょ、そういうの」
 大好きだ。
 ホワイトとピンクの可愛らしいラテも、大きな赤いリボンと色とりどりのイルミネーションが飾るクリスマスツリーも、街中のスピーカーから聞こえるジングルベルも、ここぞとばかりにショーウィンドウを彩るファーのコートやレザーのバッグやきらきらしたアクセサリーも。
 は、クリスマスが、大好きなのだ。
「・・・・・・質問の、答えだけど」
 が素直にクリスマスなんとかラテに口を付けたのを見ながら、慶次が言う。
「俺のこころにも、サンタがいてさ」
 そして、にこりと笑った。
を喜ばしたい、に笑ってほしい、そういうサンタなわけよ」
「・・・・・・、」
 は言葉を失って、それを誤魔化すようにクリスマスなんとかラテを飲み込んだ。
 鼻先をくすぐる、香ばしくて甘い、におい。
 どうしようもなく、あたたかい。
「・・・・・・慶次今日、何食べたい?」
「え?」
「晩ごはん。おごってあげるって言ってンの」
「は、え?なんで?」
 きょとりと首を傾げた慶次から、が視線を外した。
「・・・・・・サンタくらい、私の心にだっているわよ、もらいっぱなしじゃ後味悪いじゃない」
 わずかに眼を見張ってから、慶次がへらりと笑った。
「ほんとって、律儀だよね」
「な、だからサンタだって言ってるでしょ!何よ要らないの?」
「ごめんって腹減った!なんでもいいの?じゃーこないだテレビでやってた、」
 慶次が口にした高級フレンチにが眉を跳ね上げる。
「ばっかじゃないの?あんたなんかラーメンで十分よ」
「うーわぁなんつう横暴なサンタ」
「ラーメン決定ね、ただし慶次には白ごはんしか頼まないから」
「ちょ、何が楽しくてラーメン屋で白ごはん?せめてチャーハンにして、ってゆうかラーメン食わして」
 そう言う慶次の情けない顔を見て、は笑った。




 やっと笑ってくれた。
 慶次は冷えたソイラテを飲み干して、ほっと息をつく。

 小学校五年生の一月、あの日から、慶次の心にはサンタクロースが住んでいる。
 その意味を慶次が、そしてが、正しく理解するのは、まだまだ先のことだ。


(fin.)

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すべてのひとに、どうか素敵なクリスマスがやってきますように。
material by イチゴヒメ
20121212 シロ@シロソラ
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