[http://sirosora.yu-nagi.com/]シロソラハロウィンSS




 地図を見れば、国の北東部を覆い尽くすような森である。
 あまりに深く、人を寄せ付けないその森は、地図にもただ「黒い森」と記されているだけで、白紙地帯とそう変わらない。
 一度入った人間は、二度と出てくることが叶わないという伝承のおかげで、その森はしばしば咎人の住処となる。
「・・・・・・魔女?」
「そうだ。何か、知っていることはないか?」
 古びたパブである。準備中の看板を出していたのに構わず入ってきた人物に、店員である男は眉をしかめた。
 灰褐色の外套に見覚えがあるような気がするが、何しろここは首都から馬車を乗り継いで一週間もかかるようなド田舎で、少年時代からこの店で下働きをしてきた男にはもちろん学などなく、つまりはその外套が示すところが何であるかなど知ったことではなかった。
 ただ、その外套のフードの下はほとんど子供のような少年に見えたので、とりあえずはとホットミルクを出してやったら、少年は素直に礼を言って飲み始めた。
 そして先の会話に続く。
「魔女、ってぇと、アレか、中央のお偉方が血眼になって狩ってる邪教の生き残りだろ?」
「・・・・・・まぁ、そうだな」
 少年はミルクのカップをカウンターに置いて曖昧に頷いた。背格好の割に、やけに大人びた表情だ。
「つってもなぁ・・・・・・」
「なんだ、客か?」
 困ったように頭をかいた男の背後から、別の声が聞こえた。
「っあ、アニキ!」
「お前営業時間外に客入れンなって何べん言わせる・・・・・・ッと」
 奥から現れた男が店主であるようだ。仮眠でもとっていたのかあくびをかみ殺しながらカウンターに出てきた男は、少年の姿を見て一度眼をしばたいた。
「――これはこれは、こんな東の果てまで魔女狩りたァご苦労なこったな?」
 侮蔑を籠めた声色に、店員の男が驚いたように店主を振り返った。
 少年は意に介した様子はなく、ただその深い色の瞳がひたりと店主を見つめる。
「この辺りで見たという報告があった。何か知っているか」
 平坦な声色の問いに、店主は鼻から息を吐く。
「・・・・・・さァね」
「そうか」
 少年は頷くと、懐から小銭を出してカウンターに置いた。
「――馳走になった」
 そう言い置いて外套を翻す。その背の紋章に店主はわずかに眉を動かした。
「・・・・・・おい、今からだと森に入るころには陽が暮れるぜ?」
 少年は店を出る前に、一度振り返った。
「心配、痛み入る」
 そう言って頭を下げると、そのまま店を出て行った。
「・・・・・・なんでぇ、あのガキ」
「お前、あの紋章が何だか知ってるか」
 店主の、苦い声に男は首を傾げる。
「さぁ・・・・・・」
「ありゃぁな、聖教の真紋だ」
「はっ!?ってことは何ですか、中央の!」
「あァ、しかもあれは、騎士クラスの人間だ」
 店員の男が今度こそ声を失った。
 聖教の騎士というのは、加減を知らない狂人が多いと聞く。魔女ひとり狩るのに村ごと焼いたなんて話もあるくらいだ。
 ――まさかあんなガキがねぇ。
 店主は収まりの悪い銀髪をがしがしと掻いて、大きなため息を吐いた。






Der Mai-God segnet Sie! 






 店主の言った通りだった。
 秋は深まりつつある。日暮れは早い。
 森に踏み入ったころには、視界は宵闇の漆黒に覆われてしまった。
 耳を澄ます。木々のざわめき、生き物たちの声。そして、――風の音色。
「・・・・・・」
 カンテラの灯りに弱弱しく照らされる木々の間を、は迷いもせずに足を進める。
 風の流れ、そこに乗ってかすかに感じられる力の源をたどっていく。
 かつての宗教対立、それにより敗北し、虐げられた者たちの総称を、「魔女」という。
 宗教対立の勝者、俗に「聖教」と呼ばれるその宗教を統治の軸に据えたこの国は、再び内乱状態に陥ることを防ぐために魔女狩りを行っており、それは聖教の中枢に身を置くに課せられた使命でもあった。
 ――風が、動いた。
「あっれぇ、こんな森にお客さんなんて、珍しい」
 唐突に、その男は目の前に現れた。
 軽妙という言葉を形にしたような男だ。わずかに風に揺れる明るい色の髪、笑みを張り付けた顔。年齢がよくわからない。よりは明らかに年上だろうが、青年にも壮年にも見える。
「・・・・・・貴方が、魔女か」
 先ほどまで感じていた力と同じものを目の前の男から感じ取って、はそう問うた。問うていながら、すでに確証に近い。
 先述の通り、宗教対立の敗者の総称が「魔女」であり、女性に限定されるものではない。
 魔女はの顔を見て、かすかに眉を動かした。一瞬だったので、見間違いだったのかもしれない。取り繕ったような笑みを浮かべて、口を開く。
「どうしたの、お嬢さん。迷子なの?」
 驚いたのはの方だった。聖職者は大半が男だ。現在は撤回されているが、昔は女性は聖職に就けなかった。女性は不浄をもたらすという迷信は、今もなお人々の間に深く根付いている。面倒事を避けるためには男装しているし、教会の装束を見れは普通の人間はそれを男性だと思うものなのだ。
 だがこの、眼の前の魔女は。一目でを、少女と見抜いた。
「・・・・・・迷子ではないのは、この外套を見ればわかるだろう。わたしの名は、。教会の者だ」
「しかも真紋が二重円てことは騎士サン?若いのにスゴイねぇ」
 あくまでもふわふわと、まるで風に乗る木の葉のような、捉えどころのない口調だ。
 は眉をひそめたが、魔女の方はにこりと笑って踵を返した。
「お腹減ってない?ちょうど夕餉の支度してたからさー、よかったら食っていきなよ」
 まるで躍るような、軽い足取りで木々の間へ消えていく背姿を、は一度息を吐いてから追った。






 漆黒の闇に落ちた森の中で、そこだけが唐突に明るかった。
 木と木の間に板や布を渡して拵えた小屋の周りを、オレンジ色の光が茫々と浮かんでいる。
 それは、南瓜だった。
 南瓜の中をくり抜いて、蝋燭を入れているのだろう。
 くり抜かれた南瓜は、人間の顔のように目と鼻と口の位置に穴が開いていて、おかげで暗闇にオレンジ色の顔が浮かんでいるように見える。不気味な笑みを浮かべた南瓜が、何個も小屋の周りに置かれていた。
 小屋の前では火が焚かれていて、その上に鍋がかかっていた。ふつふつと泡をたてながら、湯気があがっているその鍋の中身も、同じオレンジ色。
 そういえば、魔女の髪の毛もそんな色だ。
 は奇妙な既視感を覚えながら、勧められた丸太の上に腰を下ろした。
「はい、どーぞ」
 差し出されたのは木の椀で、入っているのはやはり鍋の中身のオレンジ色。匙が突っ込まれている以上、これはスープなのだろう。周りの南瓜の多さからしてほぼ間違いなく南瓜のスープだとは思うが、
 ・・・・・・毒だろうか。
 鼻孔をくすぐる、ふわりと甘いにおいを吸い込みながら、そう思う。
 の灰褐色の外套は「魔女の天敵」の目印だ。たいていの魔女は、この外套を、その背の紋章を見て身を隠す。それがわかっていても規則通りに外套を着こむのは、そうして逃げる魔女は追わないのが独自の考えだからだ。狩った魔女の数を競う同僚たちの中には、正体を隠すために外套を着ない者もいる。
 だが、眼の前のこの男は。
 逃げるそぶりは全くない。かと言って隙もない。この外套を前に逃げない魔女は教会に敵意を持っている者、――こちらを殺そうとする者だ。目の前にこうして現れた以上、は先ほどからこの魔女を殺すための算段を考えているが、下手をすれば剣を抜くことすら叶わないかもしれない。飄々としてはいるが、この男は相当の手練れだ。
「食べないの?もしかして南瓜嫌い?」
 鍋を挟んだ向かいにしゃがみ込んで、火の調節をしていた魔女が顔を上げる。
 どう答えていいかわからずに口を噤んでいると、魔女は笑った。眉を下げたそれは、苦笑のようだ。
「ああ、心配しないで、さすがの俺様もアンタに毒は盛らないよ」
「・・・・・・まるでわたしのことを知っているような口ぶりだな」
 そう言うと、魔女は曖昧に笑って、すいとこちらに手を伸ばしてきた。
「!」
 反射的に身構えたの、その手の内にあった椀に自分が持っていた匙を入れてひと掬い、それをそのまま自分の口に運ぶ。
 わずかに眼を見開いたままその動きを追っていたの視線の先、こくりとスープを飲み込んだ魔女がに、と笑う。
「ほら、ね?」
 毒見をしてくれたらしいと理解したは、ゆっくりと匙を口に運んだ。
 甘くて、香ばしい、――やさしい、味。
「・・・・・・おいしい」
 ぽつりとこぼすように漏れ出たその言葉に、魔女が目元を緩める。
「よかった。たくさんあるからおかわりもしてね」
 そう言いながら、魔女は自分の分のスープを食べ始める。
 火が焚かれて明るいので、魔女の姿の全貌が明らかだった。全身を覆うような黒衣は、まるで教会の教本に載っているような型どおりの魔女のものだった。かつての対立に敗れたその宗教で聖職者が身に着けていた色だ。聖教では不吉の色とされている。
「・・・・・・貴方は、ひとりで、こんな山の中で何をしているのだ」
「何って。アンタだって聖教の騎士なんだから知ってるでしょ。薬つくったり術式の研究したり」
 当然のように帰ってきた答えに、は一度瞬きをする。
 確かに魔女とはかつて、そういうものだった。彼の宗教は、唯一絶対の神を崇める聖教とは違い、どちらかというと学術の探求に重きを置いていたから、聖職者はすなわち研究者でもあった。それが、宗教対立が深まるにつれ、聖職者たちの多くはその研究を棄て、聖教への攻撃行為を行うようになった。魔女狩りが徹底され始めたのはそういう理由だ。がこれまで殺してきたのも、中央への攻撃を企む者たちだった。
 だから、眼の前の男のような、「魔女らしい魔女」を見るのは初めてだったのだ。
「ここはね、この世界でも有数の、『力』の集まる場所なんだよ」
 あくまで飄々と、まるで明日の天気の話をするかのような軽妙さで、魔女が言ったので、は顔を上げた。
「・・・・・・ちから?」
「そう。アンタら風に言うと、マナ、だっけか。他にも龍脈とか、ジンとか色々言い方はある、俺様はバサラって呼んでる」
「バサラ、」
 鸚鵡返しに口にした、その瞬間に視界がぶれるように揺れた。瞬きをすれば、正常な視界に戻る。
 何だ。
 バサラ。
 知らない、言葉だ。
 何かしらの力――マナ、と呼ばれるもの――であれば、確かにも感じていた。この森に何かがあると感じた、その根拠でもある。
「ま、常に同じ場所ってわけじゃないし、今回はたまたまここ、なんだけどさ」
「・・・・・・今回、とは」
 問うと、魔女がすうと眼を動かしてこちらを見た。
「・・・・・・明日が、何の日か、知ってる?」
 明日。
 暦で言えば、十一月一日。その質問が、魔女からなされたものであることから考える、
「旧教の暦の、一年の始まりの日、だったか」
 その言葉に、魔女が驚いたように眼を見開いた。
「・・・・・・へェ。邪教とは言わないんだ?」
 どこか自嘲めいた声だ。はゆっくりと瞬きをして、口を開く。
「己の考えとは異なる考えを、邪(よこしま)であると、わたしは思わない」
 ひたりと、魔女の眼を見つめてそう言うと、魔女が眉を下げた。先ほどの、毒見をしたときと同じ表情だ。
「・・・・・・アンタらしいね」
 何が、だろう。
 先ほどからこの魔女は、こちらを知っているように話す。もちろんに、魔女の知り合いはいない。知り合った魔女は全て殺したから。
「ご名答、だよ。明日は一年の始まりの日、てことは今日は一年の終わりの日。・・・・・・『万聖節の前夜(ハロウィン)』っていうんだけどさ、今夜は、この世とあの世の境目がなくなる日、なんだ」
「あの世・・・・・・、死者の世のことか」
「そう。アンタらはアレだっけ、死者は天国で昇華するんだっけ」
「・・・・・・貴方はこちらの教義にも明るいのだな」
 感心するように言うと、魔女がまた、曖昧な笑みを浮かべる。
「まぁ、ね。御職ですから?――で、そんな死者の魂なんだけど、実はその辺にいたりする」
「?」
 魔女が言っていることの意味が分からずに続きを促す。
 魔女が、焚火の先の一点を指さした。
「バサラの集まる場所なんて特に」
 つられるように、魔女の指す方へ視線を動かした。
 

 初めに、それは唐突に現れた炎であった。
 焚火の火が森の木に飛んだのかと思ったが、色が違う。
 現れた炎は、明るい、眩しい、黄金色。
 その炎が、徐々に人の形を作っていく。
 それと同時に、眩しいほどだった炎が薄れて、代わりに紅の色の輪郭が浮かび上がる。
 
 青年の、姿だった。

 紅の。
 見たことのない、装束の。
 先が透けて見えるぼんやりとした輪郭の青年が、眼を開いた。
 こちらを見る。
 
 鳶色の、

「・・・・・・ッ、ゆ、き、むら、・・・・・・?」

 知らない言霊が、口から漏れ出たのを最後に、視界が闇に染まって意識が沈んだ。






「あーあ、俺様のことなんか全然、これっぽっちも覚えてないくせに、旦那一目でこれだよ」
 溜息交じりの、しかし穏やかな口調でそうこぼして、佐助はの目元を覆っていた掌を外した。
 力なく降りた瞼、頬に影を作る長い睫毛は古い記憶と同じ。
 ふわりと、紅の輪郭が腕を伸ばして、意識のないの頬に指先を寄せた。
 輪郭には実体がないので触れることは叶わず、しかしその頬を撫でるようにしてから、どこか責めるような視線を佐助に投げた。
 力を失ったの身体を抱きかかえている佐助が、言い訳がましく口を開く。
「ッ、俺様だって今日会えるとか思ってなかったし、てか俺様見たって何も反応なかったからちょっとくらいなら大丈夫だと思ったンだよ、旦那だって会いたかったんでしょうが!」
 輪郭は、視線を外さない。
 佐助がいたたまれなくなったように視線を逸らした。
「――だァからやばいと思ったから気絶させたでしょ、むしろこの機転を褒めてほしいね」
 輪郭が、納得したのか息を吐いたようだった。もちろん実体がないので「息」など存在しない。いまだに、妙に人間らしい仕草を忘れない主人に苦笑しながら、佐助はを見下ろす。ずしりと重い、灰褐色の外套。
「旦那知ってる?これ、今をときめく聖教会の、エリート中のエリートしかなれない騎士の証なんだよ?こんな歳でなれるもんじゃない」
 輪郭が笑ったような気配。
 つられたように口元をゆるめて、佐助は腕の中の少女に言った。
「ね、ちゃん。アンタはこの世で、ちゃんと生き方を見つけて、自分の足で歩いてる」
 遠い遠い昔、あの剣戟と銃声と、怒号と悲鳴と、土埃と血風が支配した、あの乱世で。
 自分はこの子を、泣かせることしかできなかったと、思う。
「――だから、『今回』はもう、俺らになんか関わらないでいいんだ」
 どうか、今世では。笑って生きられますように。







































 次に気が付くと、あの田舎町のパブだった。
 初めに視界に映ったのは心配顔でこちらを覗き込んでいたあの店主で、今朝がた気になって様子を見に行ったら森の入り口で倒れていたのを見つけてくれたのだと言う。
 店主の制止の声も聞かずに、すぐさま森へ取って返した。
 あれほど感じられたマナが嘘のように霧散していて、陽が暮れるまで森中を駆け回ったが、結局あの小屋も南瓜の灯りも、火を熾(おこ)した跡すら見つけだすことができず、もちろん黒衣の魔女の姿もなかった。
 遠方出張の期限が迫っていたので、とりあえずは首都へ戻るよりほかにできることはなく、は今乗合馬車の片隅に腰を下ろしながら、考えている。
 あの魔女は、そしてあの、紅の青年は、何だったのか。
 すべて夢だったのか。
 ――否。
 夢ならこんなに明確に覚えてなどいるものか。
 あの紅の青年の、鳶色の瞳を、自分は絶対に知っているのだ。
 何故だかわからないが、絶対に、だ。
「・・・・・・ゆ、き、む、ら」
 小さく小さく、口の中でつぶやいてみる。
 その言葉の意味するところはわからない。だが唱えるだけで元気になれるような、まるで子どもころに誰かから教わった、まじないのようだ。
 戻ったら、まずは旧教のしきたりをもう一度洗いざらい調べよう。そして長期出張の申請を。
 強力な魔女を取り逃がした、そう言えば申請も通るはずだ。
 あの、黒衣の魔女を。
 必ず、見つけだす。

 馬車の窓から見えるのは、収穫を終えて寒々とした田園風景。
 飛ぶように流れていくそれらを見つめながら、は膝の上で握った拳に、力を入れた。

(それがすべてのはじまりのおわり)





 秋は切なさの季節。
 と念じながら書いたリアル仄暗ハロウィンのつもりでした。
 おばかで明るいお祭りハロウィンに飽きた方へ(どんな狭いニーズ)。

material by 青の朝陽と黄の柘榴
20121009 シロ(シロソラ