「貴方は、月のようだな」

 ごく稀に、目の前の御仁は、こういうよくわからないことを言う。
 この子本当は結構天然なんじゃないかと、思っている。






 猿飛佐助が最近、多岐にわたる中でも割と重きをおいている任務。
 それが、この目の前の人物の監視。素性を解明したうえで、その身の振り方を考えること。
 何しろ主がわざわざこの躑躅ヶ崎に呼びつけられてまで任されたのだ、それなりに力を入れなければならない。
「・・・・・・言ってる意味がわかんないんだけど、ちゃん」
 そう言うと、彼女は先ほどから一切動かしていない表情を、こちらへ向けた。
 この、表情の変化に乏しい御仁を、二人きりのときだけ、佐助は「」と呼んでいる。
 彼女の、本名だ。
 いや、普段彼女が名乗っている「」という名も、間違いなく彼女の名なのであるから、本名という言い方はおかしいかもしれないが、とにかく、今となってはもう誰も呼ばなくなった、この場においてはおそらく佐助だけが知るであろう、彼女の名だ。
 任務についてから早い段階で、佐助はが女であることをつかんだ。
 この乱世において、男子がいなかった家で姫に家督を継ぐことはそう珍しいことではない。九州では女性が城主を務める国があるという。
 ――についても、初めて見たときから中性的な顔立ちだとは思っていたから、その正体が女子だと知っても特に驚きはなかった。
「旦那のことは太陽とか言ってなかった?」
 その杯に酒をついでやると、は小さく礼をする。
 十日に一度くらいの頻度で、こうやって佐助は酒を持っての元を訪れている。
 初めに酒の力でも借りてみるかと思い立ったのは、彼女が主と対峙し、殺そうとした、その日。
 彼女が何を考えているのか、「知って」みたくなった。
 酒を手にしたのは単に夜だったからで、しかし存外彼女は酒に強く、話が盛り上がったので、それ以降も酒を用意するようになった。
「・・・・・・貴方はどこまでも見ているのだな」
「正確には見てたのは俺様じゃないんだけどね」
 同じことだ、とは言って、杯を傾ける。
「で、なんで俺様が月なのさ?」
 そう聞くと、は月を見上げた。
 満月まではまだ足りないが、今宵も月は明るい。

「・・・・・・美しくて、得体が知れない」

 つぶやくような言葉を聞いて、佐助は眉を上げる。
「なにそれ」
 あまりに突拍子もない表現だったので、思わず笑顔が顔から抜けた。
 の眼が、すうとこちらに動く。
 見上げていた夜空を吸い込んだかのような、深い色の瞳。
「言葉の通りだ、猿飛殿。――貴方は美しくて、得体が知れない」
 今度こそ言葉に詰まった。
 今なんて言った?
 美しい?
 この俺が?
「・・・・・・、貴方もそういう顔をすることがあるのだな」
「やだなぁ、からかわないでよ」
 へらりと笑って見せる。
 内心では少し、焦っていた。
 こんな小娘を相手に、この俺が、虚をつかれるとは思ってもみなかった。
「ウツクシイの意味がわかんないよ」
 はしかし、こちらにひたりと当てた目線を外さない。
「言葉の通りだと言ったぞ。顔立ちもそうだが、身のこなし一つとっても、貴方は美しい」
「ちょ、連呼しないでくれる?さすがに照れるんだけど」
 己の容姿は自分が一番よく理解している。美貌とも言える姿かたちも、その気になれば宮中にだって上がれる作法も、忍びの道具として身に着けているのだ。
 それでも、女が男に言うような言葉ではないと思いながら、佐助は己の杯に酒を注いだ。
 その脳裏に、遠い日の主の言葉が重なる。

 ――『お前はまこと、うつくしいな!』

 あれは確か、自分が主に仕えだして間もないころ。彼が弁丸と名乗っていた時分のことだ。
 主従関係を飛び越えて無邪気に懐く子どもを疎ましく思って、忍びの何たるかを教えるために、怖がらせるために、忍術を使った。
 それを見て、主がそう言ったのだ。
「・・・・・・ちゃんだって、忍びの生業を知らないわけじゃないでしょ。そんな言葉、使うんじゃないよ」
 思いのほか、その声に冷たさが宿った。
 もっと軽くいなそうと思ったのに、できなかった。

 軽々しく主と同じことばを使うな。

 ・・・・・・これしきの感情を制御できないなんて、俺もまだまだだな。
 こちらの考えていることをまさか悟っているわけではないのだろうが、がその口の端をわずかに持ち上げる。
「ああ、だから得体が知れないとも言った。貴方はその身の内に・・・・・・何か、飼っているだろう」
「何かって、なに」
 もはや笑顔を取り繕うこともせずに、佐助は問う。
「そうだな、あえて言葉にするなら――」
 はしばし考えて、その言葉を声に乗せた。

「闇」

 そう言って、こちらを見る。深い色の大きな瞳が、押し黙る佐助の姿を映している。
 ふと声の調子を変えて、が言った。
「知っているか?あの月には、裏側があるのだそうだ」
「え?」
「だが、我らにその裏側を見せることは、ないのだという」
「・・・・・・お伽噺?」
「そうかもしれんな」
 酒を注ごうとして、酒瓶が空になっていることに気づいた。
 酒がなくなれば、会話は終了。
 この酒盛りの、暗黙の了解だ。
 だが佐助には、どうしてもひとつ、に聞きたいことがあった。
「――なんで今日は、そんな話をしたの」
 空にした杯を置いて、が答える。
「・・・・・・すでに貴方の耳には入っているのだろうが、先日幸村殿に素直になれと言われた」
 その報告は確かに、受けている。
 旦那らしいと、思ってはいた。
 それが、今宵の月の話にどうつながるのだろうと思いながら、佐助は黙って続きを促す。
「素直とは何かと考えた。わたしがわたしの考えを肯定するところから始めようと思って、まずは考えていることを口にしてみた」
 そのの口調は至極真面目だ。
「・・・・・・だったら旦那に言えばいいじゃないのよ、素直云々は旦那に言われたんでしょうが」
 呆れたように言うと、はわずかに眉根を寄せる。
 表情の変化に乏しい彼女にあって、これは「困惑」を意味するものと佐助は判断した。
「幸村殿にはまだ難しい。――が、貴方になら言えそうな気がしたのだ」
「・・・・・・俺様アンタの何なのよ」
「強いて言うなら、話し相手だな」
 即答だった。

「良い話し相手に恵まれたと、思っている」

 これはアレだ。
 素直云々の続きだ。
 だがここでそうやって、微笑を浮かべるのは卑怯だ。
 笑顔と言うほどのものではない。注意深く観察しなければその変化に気づかないかもしれない。
 それでも彼女が今自分に向けているその表情は――
「・・・・・・美しくて、得体が知れない」
「は?」
「その言葉、アンタに丸ごとお返しするよ」
 はしばし瞬きを繰り返し、成程、と頷いた。
「では我らは似た者同士ということになるな」
「・・・・・・もう、戻るね」
 佐助はそう言い置いて、の返事を待たずに屋根へ跳んだ。
 が後ろで何か言っているような気がしたが、あえて聞かなかった。





 は、優秀な人物だ。
 一通りの兵法は身に着けていて、刀を取らせれば大概の相手に遅れは取らない。聡明で、見た目も悪くはない。
 彼の者に甲斐を、主を害する意図がないとわかれば、主の傍らに置いておくのが寛容だ。
 きっと、主の役に立つだろう。

「・・・・・・だから『こっち』に来るんじゃ、ないよ」

 夜風を斬るように跳びながらつぶやかれたその言葉は、夜陰に紛れて、消えた。


  

幸村と佐助の間にあるものは、恋愛感情とは異なる、もっと根源的な何かだと思います。
201206022 シロ@シロソラ