登場人物 |
※ネタばれ注意 主に管理人の備忘録として、オリジナルやねつ造のみなさんを掲載しています。なお史実に存在した人物も、年齢や性格などねつ造が満載です。 だんだん増えていきます。(本編に登場した順番に書き連ねています) 物語本編の主人公。本編開始の時点で16歳。(ちなみに幸村はその時点で17歳) 相模の旧家の姫君として生まれるが、一族に伝わる風のバサラの力を守るため、男子として元服し、家督を継いだ。 母親はの出産と共に他界、父親(家先代当主・和重)もが7歳のときに病没。 何よりも相模国主の北条宗家を守ること、そして自分の血族を絶やさないことを優先して生きてきた。 そのためプライドが高いうえに何事にも無関心な難儀な性格になってしまった。 幸村と出会って以来、その性格を直そうと奮闘中。 次第に従来の優しさと天然ぶりを発揮して、主に佐助を振り回している。 姫君としての本名はという。 ※デフォルトの名前は、早瀬悠信(はやせひさのぶ)、本名はほたる。 東山一郎重信(ひがしやま いちろう しげのぶ)(オリジナル) の相模での唯一の家臣。 元が乳兄弟なので主従と言うにはくだけた物言いをして、に呆れられていが、本人はを弟のように思っているので、その無茶な行動によくはらはらしていた。 通称は「一郎」、本編開始の時点で19歳。 はな(オリジナル) の相模での唯一の侍女。 にとっては母親のような存在。 薬師の心得がある。 黄梅院(こうばいいん)(史実) 武田信玄の娘のひとり。北条氏政の正室。 北条家が武田家との同盟を破棄する際に、離縁を言い渡されて甲斐に戻った。 そもそも結婚自体が甲斐の為と割り切っていたので、甲斐に帰ってきてそれなりにエンジョイしている。 面倒見がよく、さっぱりした性格だが、ときおり視線の鋭さなど、甲斐の虎の娘らしい一面を見せる。 甲斐での、の保護者的存在。 ※史実では氏政公と仲睦まじく、同盟破棄の際も泣く泣くの離縁だったとのこと。 霧隠才蔵(きりがくれ さいぞう)(ねつ造十勇士) 真田忍隊の副隊長。 常に笑顔を絶やさない優男だが、佐助以上に忍として割り切っていて、笑顔で拷問とかするいい人仮面。 忍隊では唯一長(佐助)への発言権を(勝手に)持っていて、そのため佐助は彼を嫌いだと言って憚らない。 実は真田忍隊のおかん。(佐助は忍隊ではおとんになる) 根津甚八(ねづ じんぱち)(ねつ造十勇士) 真田忍隊の忍び。 寡黙で感情を表にだすことがないが、実は面倒見がいい隠れアニキ体質。 余計なことを口にしないという点で、佐助からもわりと気に入られている。 の世話役を命じられた。 鎌之助とはなぜかそりが合わない。 穴山小介(あなやま こすけ)(ねつ造十勇士) 真田忍隊の忍び。忍隊では最年少(幸村と同い年)。 幸村とうり二つの容姿と声を持つため、影武者を主な任務としている。 佐助の言葉を借りれば「万年発情期」、気に入った者にはとりあえず手をだしたい。最近の「手を出したいランキング」は1位ちゃん、2位幸村様、3位佐助。男も女も関係がない模様。 その性質により、佐助の「許可があれば殺したいランキング」の上位に常にランクインしている。 由利鎌之助(ゆり かまのすけ)(ねつ造十勇士) 真田忍隊の忍び。忍隊では小介に次いで年少。 なんとなくいつも(年下の小介にすら)下っ端扱いされている。割と常識人だが敬語が苦手なのか、語尾はいつも「〜っす」。 「甚八さんっすか?何考えてるかわかんないんすよねぇ、ちょっと苦手っす」とのこと。 武田四郎勝頼(たけだ しろう かつより)(史実) 信玄の四男。黄梅院とは三つ違いの異母弟。(ということは、初登場時点でおよそ21歳) 母親は信玄が滅ぼした諏訪氏の姫君で、信玄の信濃支配の一環として、諏訪氏の名跡を継ぎ、諏訪四郎勝頼と名乗っていた。信玄の死に伴い、武田性に復して、武田家代20代当主となる。 真面目で潔癖、プライドが高い。信玄との間に何らかの確執があったのかどうか、信玄が愛してやまなかった真田氏を割りと目の敵にしているらしい。 湯浅五助(ゆあさ ごすけ)(史実) 大谷吉継の家臣。吉継の養女となったの世話を任されている。口数が少なく、実直を形にしたような人物。たまに吉継の命令以上のことを遂行するが、吉継の信頼は厚い。 淀(よど)(史実) 豊臣秀吉の側室。に武家の奥方としての作法を教えるべく、大坂城にやって来た。本名は他にあるようだが、通名である「淀」を自分でも名乗っている。 父は浅井長政、母はお市。母譲りの訥々とした話し方をする。マイペースだが、悪は削除するらしい。 菊姫(きくひめ)(史実) 信玄の末娘。黄梅院と勝頼の異母妹。歳は幸村の一つ下(ということは、と同い年。 大切に育てられた深窓の姫君で、天真爛漫。末姫らしく少し我儘なところも。幸村とは幼馴染のような関係で、源二郎兄様と呼んで懐いている。子どものころに人質として武田に身を置いていた景虎(三郎)と仲が良く、景虎が上杉に養子に入るまでは文のやり取りも続けていた。 武田と上杉の同盟にあたって、景勝に嫁ぐ予定となっている。 上杉景勝(うえすぎ かげかつ)(史実) 上杉謙信の甥で養子。幸村よりいくつか年上。 幸村が越後に人質に出されていたころ、もっとも世話になった人物。義の教えや生き方など、その後の幸村に大きな影響を与えた。物腰柔らかで、いつも穏やかな様子を崩さない。謙信を「御実城様」と呼ぶのに合わせて、「中城殿」と呼ばれることもある。 信玄没後籠りがちになった謙信の跡目候補のひとり。無暗に家中の騒動を広げているとして、景虎を非難することも。 上杉景虎(うえすぎ かげとら)(史実) 北条氏政の歳の離れた弟で、上杉謙信の養子。景勝の義理の兄。 元の名を北条三郎という。少年時代に武田家に人質に出されていて、その頃菊姫と親交を深める。その後北条家に戻ったが、北条家先代(氏康)の頃に北条と上杉の間で結ばれた同盟の証として、上杉家に養子に入り、景虎と名を改めた。真面目で、誰にも分け隔てなく接する様子を、北条時代を知るは「幸村に似ている」と評した。 謙信の跡目候補のひとり。武田との同盟を前に春日山城から麓の御館に居を移し、景勝方とはすれ違いが続いているようだが… 柿崎平三郎(かきざき へいざぶろう)(史実) 上杉家家臣。跡目をめぐる家中の分裂にあたっては、景虎側についていたが、保身のため何やら画策していた模様。武田家を迎える景勝側の使者を殺し、自らも何者かに殺された。 加藤段蔵(かとう だんぞう)(史実(?)) 景虎に従う忍び。飄々とした態度や間延びしたような話し方が、誰かを彷彿とさせる。 ((戻)) |
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