秋晴れの、心地いい日差しの下、上田城本丸広場では打ち合いの音と、気合いの声が響いている。
 は、額に掻いた汗を着物の袖で拭う。秋は深まりつつあり、風は冷たさを増してきているが、それでも動けば身体が温まる。現に、相対する幸村はすでに上着を脱ぎ捨てて、そのよく鍛えられた上半身を陽の下に晒していた。
「ッ!」
 の振りぬいた木刀を、幸村が模擬槍の柄で防ぐ。
「む、今のはなかなかようござる!」
 笑顔の幸村はまだ余裕があるように見える。はぐ、と木刀を握る腕に力を籠め、
「――まだだ!」
 身体を反転させて渾身の一撃を叩き込もうとして、
 頬に風が巻くのを感じた。
 しまった、という思考が完成するよりも早く、無理な体勢で刀を退こうとして、
「!!!!!」
 咄嗟に槍を退いた幸村と眼が合った次の瞬間。


 ――ゴンッ


不可思議な一日
おのこと おなごと



「・・・・・・ッつ、」
 目の前に星が飛んだのを見たと思う。
 が突っ込んだその勢いのまま、幸村とは額を正面からぶつけ合った。
 からん、と互いの武器が地に転がる音、は両手で額を押さえて座り込む。
「す、すまぬ、
「こちらこそ申し訳ない、鍛錬にはバサラは使わぬ約束であったのに」
 刀を振るう動きに吊られて、ほぼ無意識に風を使おうとしてしまった。こんなことではまだまだ修行が足りない。
 そこまで考えて、は異変に気付いた。
「・・・・・・幸村、殿?」
 今。
 幸村の声が。
 なんだか記憶していたものよりもずいぶんと高く感じられた。
 額の痛みを噛み殺して立ち上がり、幸村の方に向き直って、
「・・・・・・は・・・・・・?」
 先ほどまでのと同様、そこには額を押さえる、
「幸村殿・・・・・・?」
 俯き加減のその顔はわからない。だが日に焼けた髪の色は確かに幸村のそれで、纏ったままの袴も先ほどまでの記憶通りなのだが、その肩が、自分の知るものよりもずいぶんと小さく、丸く見える。
「幸村殿、大事な、い、か・・・・・・」
 そして、自分の声はなぜこんなに低いのか。
「ああ、すまぬ、・・・・・・、」
 漸く幸村が額から手を離して、こちらを見上げた。
 全貌が明らかになる。
 大きな、鳶色の瞳。少し童顔ではあろうが、可憐で、美しくて。
 ぎぎぎと音がしそうなほどぎこちない動きで、は視線を下げる。
 そこに。
 見紛うことなく、なんとも豊満な、
「!!!!!?????」
 口は開けたが声が出ない。
 反射のように、は自分の着物を破く勢いで肩から脱いで帯をそのままに無理やり引き抜き、がば、と幸村の肩にかける。
 幸村はしかし、の一連の動きに微動だにしなかった。
 ただその大きな目を、限界まで見開いて、こちらを凝視している。
「・・・・・・・・・・・・?」
 このあたりで、も己の身に起こったことに薄々気づき始めていた。
 幸村に被せた着物を掴む、その節ばった手。掌が大きい。
 喉に触れれば、あるはずのない出っ張り、――喉仏。恐る恐る自分の身を見下ろせば、着物を脱いだときに引っ掛かったか、胸元に巻いていた布が解けかけていて、そして露わになっているのは、もともと豊満とはお世辞にも言えなかったのだが、もはや平坦としか言いようのない、胸板。
 は、ゆっくりと幸村を見た。
 幸村も、まっすぐとを見る。
 ふたりは、同時に声を張り上げた。
「「佐助!!!」」








「えー、・・・・・・っと。とりあえず・・・・・・、旦那とちゃん。なんだよね?」
 なんだか眩暈がするよと小さくぼやくように言って、佐助が眉間を押さえた。
 夢だと思ってその辺にいた鎌之助を思い切り殴ったら思い切り痛そうにしていた。夢ではないらしい。
 佐助の目の前、障子越しに穏やかな日差しが入り込む室内、板張りの床でそれぞれ腰を下ろしている二人。
「お前は主人の顔も見忘れるような忍びであったか」
 むすりと言うのは、平時よりもずいぶんと小柄な、その容姿をあえて表現するなら、美少女。
 鍛錬のおかげで若干乱れた、それでもいつも通りのうなじの後ろだけをひと房伸ばした髪の毛、意志の強そうな眉と双眸。ただその眼はぱちりと大きく、縁取る睫毛も長い。慌てて引っ張り出してきた元服前の服がちょうど合うほどの体躯、小さくて丸い肩に、・・・・・・ちょっと目を奪われるほどの豊かな胸元。
「いや、ね。それは旦那が旦那の姿してることが前提っていうか・・・・・・、いや顔とか確かに旦那なんだけどさァ」
 どうしてこうなった。
 佐助は「幸村」の隣に視線を動かす。
 平時の幸村よりも伸びた体躯ゆえに、合うのが甚八の服しかなかったので、冴えない薄墨色だがとりあえずそれを着せている。元が元だけに若干骨ばってはいるが広くがっしりとした肩、薄いが筋肉のついた胸板。女のときにそう美しいとは思ったことがなかった、それが男になればこうも整って見えるものなのか。美丈夫と言って差し支えのないだろうその顔。切れ長の、深い色の双眸をひたりとこちらへ向けてくる様はまごうことなくのそれなのだが。
「なんとも、・・・・・・面妖だな」
 そう言って息を吐く物憂げな様子と言い、甘さの混じる低い声と言い、
「・・・・・・何なのその無駄な色気・・・・・・」
 げっそりとつぶやいた佐助のその言葉に、幸村が眉を跳ね上げる。
「な、ッ佐助ェ!破廉恥なことを申すな!!」
「五月蠅い破廉恥ならアンタもだ!」
 眦を釣り上げた幸村に、反射的に佐助はそう言いきって、そして深い深いため息を吐いた。
 佐助の後ろにはまだ頬を押さえている鎌之助と、着物を提供する際に事情は聞いていたものの実際に目にしていつにも増して言葉がない甚八、そして動揺した様子もなくにこにこと笑っている、
「しかしこれはなんとも・・・・・・、眼福ですねぇ」
「うん才蔵黙って死んで」
「おや混乱しているからと言って誰彼かまわず殺すのは長の悪い癖ですよ」
「大丈夫誰彼かまってるから。標的お前だけだから」
「さて、私だけでは済まないと思いますけどね」
 才蔵がそう言ってにこりと笑ったのと、けたたましい足音が近づいてきたのが同時だった。
 気配で悟って佐助は掌に顔を埋める。厄介なのが来た。
 すぱあん、と小気味いい音をたてて、障子が開け放たれる。
「幸村様・・・・・・ッ」
 両手で障子を開いたそのままの体勢で、息を切らした小介が固まっている。
「おお小介、すまんがこういうわけだ、とりあえずはそなたに代役を頼むぞ」
 そう言って苦笑する幸村の、その可愛らしい声に、小介はその場でわなわなと震え、そして主人の隣へ視線を移す。
「そうだな、小介がいるからしばらくは問題がないか。しかし小介と比べると、貴方は本当におなごになってしまったのだな」
 控えめに眉を下げたを見て、小介はごくりと生唾を飲み込む。
「ッ、ちゃん!」
「は、」
 生真面目な様子でこちらに向き直ったに、小介が飛びかかった。
「何それちゃん男前!抱いて!!」
「は?こうか?」
 飛び込んできた小介をは正面から受け止めて、その背に腕を回してぎゅうと抱きしめてやる。
 いつもの幸村と同じ姿かたちをしている小介が、今は小さく思える。不思議な感覚だ。
「見てくれ幸村殿、小介でもこんなにすっぽり抱きしめられるぞ」
 得意顔を幸村に見せると、幸村も物珍しそうにを見つめた。
「なんと・・・・・・、は実に立派な男子になったな」
「・・・・・・ていうか。この二択でちゃんに行くあたり、こいつの変態っぷりは凄まじいな」
 ものすごく嫌そうな顔をした佐助が、ぼそりと言う。
 その言葉に才蔵は乾いた笑みで返し、それが聞こえていなかったらしい幸村はまじまじとと小介を見つめている。
「しかし、それでは俺が面白くないぞ」
 いささか不機嫌そうな幸村の声、は「それもそうか」と頷いて腕の中の小介を見下ろす。
「小介、気は済んだか?」
「ちょ、まじ・・・・・・ッ、ちゃ、やば、俺、こんな、」
 腕の中でもぞりと動いた小介に、は首を傾げる。
「小介?」
「っぁ、や、もうだめ、ッ俺、イっちゃ、――」
「よしお前は逝っていいぞ」
 轟音がして、次の瞬間の腕の中は無人になった。
 目の前に佐助が立っていて、もう一度空の両腕を見てから、視線を動かす。締め切っていた障子が、見るも無残な木片と化していて、外が見えた。庭木が何本かへし折れている。小介の姿は見えない。
「甚八、鎌之助」
 ちりちりと、触れれば焦げそうな殺気を滲ませて、佐助が温度のない声で命じる。
「とりあえずあの馬鹿に仕事させといて。それで旦那にもちゃんにも絶対に近づけないで」
 甚八は無言で、鎌之助はがばりと平伏してからそれぞれ姿を消す。
 才蔵が微笑んだ。
「あそこで殺さなかったのは、なかなかのご英断でしたね」
「お前は俺が呼ぶまで姿見せないで」
 斬って捨てるような言い方に、しかし才蔵は顔色ひとつ変えなかった。








 幸村との性別が入れ替わってしまったという事件については、忍隊以外の者たちには伏せられた。
 そもそも信じがたいことではあるし、幸村の方は小介が表に出れば政務上もとりあえずは問題がないからだ。
 そういうわけで幸村は人目に触れぬように籠るしかなかったのだが、対しては上機嫌で城内を歩き回っている。聞かれれば「の兄だ」と答えて、なんだかんだと城内の仕事を手伝っているのだ。
 背丈が伸びて、今まで届かなかったところの掃除でもわけはないし、筋力が増したらしく重い物も簡単に持ち上げられるようになった。
 今はもう、その必要はないのだと理解しているとはいえ、昔からずっと欲してきた、「男の身体」である。少々浮足立つのも仕方のないことだ。
 内庭に面した回廊、陽が傾き柱が長い影を作る中、ひとりの女中が支度の始まっている夕餉の膳を運んでいる。
 急いだ様子で小刻みに足を動かしているが、その足がつるりと滑った。
「っきゃ!」
「危ない!」
 思わず眼を閉じたその女中は、しかし予想した衝撃がなく、恐る恐る眼を開ける。
 その至近距離に、どこか中性的な、整った顔立ち。
「大事ないか」
 女中の身体を左腕一本で支え、右腕は宙に放り出された膳を落とすことなく受け止めている。
 その深い色の双眸に見つめられて、女中は顔を赤らめた。
「は、はい・・・・・・!」
「そうか、よかった」
 女中の身体を支えて立たせ、膳を持たせてやる。
「貴方はいつもよく頑張っているが、頑張りすぎるきらいがるようだな。そのように急がれずとも、幸村殿は膳が遅れたからとて腹を立てるような人物ではないし、それにそれが原因で貴方が怪我をするようなことがあれば大変だ。気を張りすぎることはないのだぞ」
 身を屈めて、その顔を覗くように言えば、女中はこくこくと頷いた。
「は、はい、ありがとうございます・・・・・・っ!」
「うむ、それでは失礼」
 ふ、と小さく口元に笑みを浮かべて、立ち去ろうとする男に、女中は慌てたように声をかける。
「あ、あの!貴方さまは・・・・・・!」
「あぁ、こちらで世話になっているの、兄だ」
 秋の風が、結い上げた髪を揺らした。
 その姿に、女中がほうとため息を吐く。
 女中の背後、渡殿のあたりで人だかりができている。全てこの城で働く女たちだ。
「あぁ、なんて凛々しい御姿!」
「あの控えめな笑みなんて・・・・・・あぁもうだめ」
「まあしっかりなさいな!それにしてもあのお優しさ。私なんて今日掃除を手伝っていただいて」
「竈の薪を割るのもされていたそうよ」
「お名前は何とおっしゃるのかしら・・・・・・」
「お兄様とお呼びしたいわ私!」
「それ素敵!私もお兄様と呼ばせて頂くわ!」
「ああお兄様・・・・・・!」
 その様子を、わずかに開けている障子の隙間から眺めて、佐助は口元を押さえていた。
 初めは笑いを噛み殺していたのだが、だんだん感心してきた。
「いやあ・・・・・・、ちゃんってつくづく女にもてるよねぇ」
 確か以前、躑躅ヶ崎でもこんな光景を見たような気がする。
 くくくと喉の奥で笑っていると、後ろで何やら身じろいだような気配。
 振り返ると、足を崩した幸村が、むすりとした顔で脇息にもたれかかっている。
「お前は何やら楽しそうだな」
「いや楽しんでるのは俺様じゃなくてちゃんだってば」
 障子を閉じて、佐助は幸村の方に向き直る。
 その佐助の顔を、幸村はじとりと見つめる。
「いいや楽しんでいるだろう。その証拠にお前、ここを離れぬではないか。仕事はいかがした」
「心配ご無用、っていうかこうなるともうアンタを守るのが俺様の仕事だから」
 主に小介から、と付け加える。
 鎌之助はともかく甚八に任せておけば問題はないだろうが、何しろあの小介はあれでも立派な真田忍びのひとりだ。人目を欺くなど呼吸のように簡単にやってのける。あの二人が出し抜かれたら、幸村を守れる砦は自分しかない。
 ちなみに守る対象がではなく幸村なのは、万一の時それでもあの身体のなら体格的に抵抗が可能だからだ。幸村がこの状態で襲われたら冗談でもなんでもなく犯されかねない。小介はそういう男だ。残念なことに。
 佐助の返事を聞いて、幸村は眉を下げる。
「そうか、それはすまんな」
「やだなぁ旦那らしくない。女の子になったからってしおらしくすることなんかないのに」
「な、ッからかうでないわ!」
 そう言って視線を逸らした幸村の、その膨れた頬をつつきたい衝動をなんとか抑えた。
 危ない。
 これは旦那これは旦那これは旦那。
 内心で必死に言い聞かせている佐助を、幸村はちらりと見た。
「・・・・・・その、佐助」
「はいはい?」
 佐助が顔を上げると、幸村が俯き加減に口を開く。
「・・・・・・このまま、元に戻らなくても。お前は、変わらず傍にいてくれるか」
「は?」
 何を言われたのか一瞬理解できず、佐助はぱちりと瞬きをした。
 幸村は自分の両腕を見下ろしている。
 おなごの、細い腕だ。先ほどためしに槍を握ってみたら、その重さに驚いた。あれでは二槍を自在に繰るのは無理だろう。高くなってしまったこの声も、戦場で通るかどうか。
 その幸村の様子を見つめて、佐助は眉を下げて息を吐いた。
「もー、お馬鹿さん」
 そっと近づいて、俯いた頭を撫でる。ふわふわとした髪の感触は変わらないのだと気付く。
「あのね。俺様は別に旦那が男だから仕えてるわけじゃないの。旦那が男だろうが女だろうが、『真田幸村』っていうひとに仕えてンだから」
 ぽふぽふと頭を軽く叩きながら、しゃがみこんで幸村と目線を合わせる。
 ああ、懐かしいな。
 この感じは、あの頃に似ている。
 幸村の元服前、弁丸と名乗っていたあの頃の感じに。
「――幸村殿!そろそろ夕餉にと、――」
 すうと障子を開けて顔を覗かせたが、そこで言葉を切った。
 佐助と幸村が同時にそちらを見る。
 佐助の右手は幸村の頭を撫でたまま、ふたりの顔の位置はかなり、近い。
「ッ、その、失礼いたした、」
 開けた時と同じくらい静かに障子が閉じられる。こういうとっさのときにも礼を失しないのがらしいと佐助は考えて、そして思い至った。
「・・・・・・あぁそっか。何か勘違いしちゃったかな?」
「な!?待たぬか、!」
 がばりと幸村が立ち上がって、壊しそうな勢いで障子を開ける。
!」
 そのまま回廊へ走り出して言ってしまった。
「・・・・・・」
 その背中を見送って、佐助はひとつ息を吐く。
 本当は幸村があの姿のまま場内をうろつくのはどうかと思うのだが、止めても聞かないだろうし、まあいいかと考える。どちらにしろ表には小介が出ているわけだから、あの幸村は「別人」と判断されるわけだし。
 問題は小介のほうだからそっちに牽制に行くとして。ふたりは後で追いかけよう。
 そこまで考えて、先ほどまで幸村の髪に触れていた右の掌を見下ろす。
 もし幸村が、はじめから女だったとしたら。
「・・・・・・馬鹿馬鹿しい」
 万が一の仮定としてそんなことがありえたとしても、今と何一つ変わることはない。
「それでも絶対、ちゃんみたいなひとが現れるさ」
 







 この身体で全力疾走はまだ試していなかったが、これは間違いなくいつもより速く走れていると、確信する。
 初めは平時とは異なる視線の高さや手足の長さに戸惑ったものの、今日一日でもう慣れた。
 やはり力の付き方が男と女では違うということなのだろう。
 その証拠に、風は一切使っていないというのに、呼吸が乱れることはない。
 万一このまま元に戻らなくとも、戦場では十分役に立つことができそうだ。
 ――そこまで考えて、漸くは足を止めた。
 城内を走っていたはずだが、いつの間にか視界は雑木の立ち並ぶ森だ。
 上田城の、裏山だった。
「・・・・・・」
 背後を振り返る。もう城は見えない。
 離れなければ、とだけ考えていたら走りすぎたようだ。いくらなんでも城の外に出る気はなかったのに。
 戻ろうと右足を一歩踏み出して、その瞬間先ほど見た光景が脳裏を掠めた。
 幸村と、佐助が。
 ・・・・・・口を、吸っているのかと、思った。
 男と女が、子を成すための、行為。口吸いはその一環だと、は理解している。
 が、今はなき自分の家の家督を継いだのは、子を、男子を生むための繋ぎであったから、その行為が何たるかも知識として理解はしている。
 家を、血を繋ぐ必要性がなくなってしまった今ではあるが、それでも。
 いずれ、自分も。
 幸村と祝言を挙げた、暁には。
 そういうことを、するものだと。
「・・・・・・ッ」
 何やらいてもたってもいられないような心持ちになり、は両手で頬を押さえた。膝が力を失い、へたりとその場に座り込む。
 もちろん幸村は男で、佐助も男だ。
 だが、今は。
 幸村は女で、それも元が元だけに、――素晴らしい美少女だ。
 ――男と女が、子を成すための行為。
 それは、愛し合う男女が行うものなのだということも、それなりに理解は、している。
「――!」
 おなごの高い声が聞こえた。
 幸村の声だ。
 反射的に立ち上がり、逃げようとして、
「待たぬか!!」
 予想以上に幸村の移動が速かった。
 木陰から現れたその姿にぎくりと肩が強張る。
 可憐としか言いようのない、その少女の身体からは、ゆらりと炎が立ち上がっている。
 こちらを見据える、強い光を宿した双眸。
 ああ、背姿はどうであれ。
 このひとはまごうことなく、「真田幸村」なのだと、悟る。
 ・・・・・・感心している場合ではない。
「な、にをしているんだ!このようなところで炎を使えば、」
 幸村が本気を出せば、山ひとつくらい簡単に燃やし尽くしてしまうだろう。
 そんなことをさせるわけにはいかない。
 はぐ、と口を引き結び、逃げかかった身体を幸村の方へと向けた。
 の様子に納得したのか、幸村の身体から炎が消える。
「まったく、そなたいつもよりずいぶんと速いではないか、追うのに苦労したぞ」
「・・・・・・すまない」
「それで。何故逃げた」
「逃げたつもりは、」
 思わず口をついて出たその言葉に、自問する。
 逃げたのでなければ、何だったのだ。
「――佐助が、そなたは俺と佐助の間柄を何か誤解したのだと言っていた。・・・・・・そうなのか?」
「ッ!!」
 顔が熱くなるのがわかった。
 佐助のことだ、こちらの心情などお見通しと言うことか。
「どうなのだ」
 さくさくと音をたてて、幸村がこちらに歩み寄る。
 は一度視線を落とす。
「・・・・・・、ない、だろう」
 呟くような声が、風に流れていく。
?」
 眼前に立った幸村が、こちらを見上げてくる。
 上目使いではなく、まっすぐとこちらに顔を向けて。
「誤解だと、言いきれないだろう・・・・・・?」
 のその言葉に、幸村が眉を跳ね上げた。
「な、そなた俺を疑うか!?」
「違う!」
 反射のようにそう答えて、は一度視線を泳がせた。
「・・・・・・佐助が。貴方に対して情愛のこころを持っても不思議ではないだろう」
「・・・・・・?」
 が幸村に、視線を合わせる。
「貴方は、あたたかくて、優しくて、・・・・・・太陽の、ようで。見目だって、麗しい」
 こうやって、見つめるだけでも、まるで心の臓が掴まれたかのようにきゅうと痛む。
 わたしがこんなに惹かれている、貴方だ。
「誰よりも長く、傍にいる佐助が、惹かれぬ道理はないのだ」
 佐助はあれで、とても美しい男だ。幅広く多くの知識を持ち、武芸にしろ学術にしろ並みの武人よりよほど優秀だ。聞いたことはないが、おそらくやれと命じられれば、歌だってすらすらと詠むのだろう。時には母のように優しく、時には父のように厳しく頼りになる。
 「猿飛佐助」という男を、は心底尊敬している。
 どこをとっても、自分に勝ち目はない。
「・・・・・・」
 顔を真っ赤にしたを、幸村は無言で見上げた。
 わずかに驚いたように見張っていた大きな目を一度閉じて、そしてふ、と微笑む。
「・・・・・・そなた意外に馬鹿だな」
「はッ!?」
 今度はが眉を跳ね上げる番だった。
 の様子に構わずに、幸村は続ける。
「俺を疑うほど、そなたの俺に対する想いは浅いのかと腹を立てたが、それは違ったな。そなたは俺を想うがあまり、佐助に嫉妬したのだな」
「しッ、」
 言葉にならなかった。
 嫉妬だと!?
「わ、わたしはッ、佐助がそのようにおもっているのなら、それを無下にはできぬと、」
「そうしてそなたは身を引くか?だから馬鹿だと言うのだ」
 幸村が、すいと右腕を上げる。
 その掌がの首の後ろあたりに触れる。撫でるような感覚。いつもの幸村なら、頭を撫でていたのかもしれない。今の幸村では、長身のの頭には手が届かないのだ。
「よいか、俺が生涯を連れ添おうとこころに決めたのはそなたひとりだ。俺が男だろうが女だろうが、そなたが男だろうが女だろうが、そのことには何の関わりもない」
 少々甲高くとも、幸村の声だ。
 耳に心地よく、心にゆっくりと滲みるような。
「そして佐助は、今生その生命を俺が預かった、俺の忍びだ。俺はあの者に信を置いておるし、あの者もそうだろう。あるいはそなたの言うような、情愛のような念があるやもしれぬ」
 は口を噤んで、幸村の声を聞く。
 ざわついたこころが、平らかになっていくような感覚。
「どちらも俺には必要なのだ。どちらかに優劣があるようなものではないし、そもそも比べるようなものでもない」
 わかるか、と顔を覗きこまれる。
 は、こくりと頷いた。
 そのように言われたら、頷かざるを得ないではないか。
「・・・・・・貴方は本当に狡いな」
はまことかわゆいな」
 の首筋を撫でながら、そう言って笑う幸村を、半眼で見下ろす。
「先ほどは馬鹿だと言っていただろう」
「すまぬ、あまりにが愚かであったゆえ」
「・・・・・・言い方を変えただけではないか」
 むすりと言うと、何がそんなにおもしろいのか、幸村は眉を下げてくすくすと笑う。
「いや、馬鹿な子ほど可愛いとは真理であるなぁ」
「・・・・・・」
 なんだか、全て丸め込まれたような気分だ。
 面白くない。
 はおもむろに腕を持ち上げ、がばりと幸村を抱きしめた。
「ぅわ」
 幸村が驚いたような声を上げるのを無視して、その身体を抱きしめる腕に力を入れる。
 ほら。
 こうしてしまえば、幸村の小さな身体などすっぽり腕の中だ。
 これなら手も足も出まい。
 いつもと逆転したその優越感に、は小さく口の端を上げる。
「まったく先ほどから黙って聞いていれば仮にも自分の奥方になる者に向かって馬鹿だ馬鹿だと五月蠅いひとだ」
 幸村も負けてはいないようだった。もぞりと動いて、口を開く。
がこのように嫉妬するおなごだとは知らなんだ、これでは元の身に戻っても側室は娶れぬな」
 顔が見えていれば、おそらくにいと口角を上げているのだろう。冗談めいた、軽い口調だ。
 ぴくりとが眉を動かす。
「・・・・・・そもそも貴方は若いおなごが苦手だと佐助に聞いたぞ。わたしに親しく接してくれたのは、わたしを男と思っていたがゆえであろう?わたしほどの男女はそうおらぬ、側室は諦められよ」
「・・・・・・そなた言うようになったな」
「・・・・・・貴方こそ、側室なんて言葉が出てくるとは思わなかったぞ」
 腕の中で幸村がもがいているのがわかる。なんとか抜け出そうとしているのだろう。
「む、・・・・・・こうされると身動きが取れぬな」
「いつも貴方がしていることだ」
 小さく笑いながら言うと、幸村が一度動きを止めた。
 ふむ、と一言。
 次の瞬間。
「――ッ!」
 ぐ、と身体が引かれる感覚に、は両足をふんばった。
 幸村の両腕が、いつの間にかの袴の腰紐に伸びている。投げ飛ばされると予感して、重心を落とす。
「流石に簡単にはいかぬなぁ」
「・・・・・・というか、この状況で体術とは卑怯ではないかッ」
「なに、そなたもこういうときは風で逃げるではないか?」
「・・・・・・」
 この男は!
 あっという間に取っ組み合いの様相となり、は腕に力を籠めながら、思い至る。
 それならば、幸村の言うとおり、風を使うまでだ。
 そう思って、風に意識を向けて、
 ――それこそが幸村の狙いであったと気付いたのは、視界が宙を舞ってからだった。
「!!」
 足を払われて、背中から地に倒れ込む。幸いそこは枯葉の積もる柔らかな土の上で衝撃の割に痛みはなかったが、
 そこでふたりは気が付いた。
 ここは山で。
 山にはもちろん、斜面がある。
「ぅ、あ!?」
「!!??」
 体勢を整えようとしたが間に合わない。
 そのまま幸村の身体を巻き込んで、斜面を転がる。
 危ない、本能的にそう感じて幸村の身体を引き寄せて抱き込む。今の身体ではどう考えてもの方が頑丈であるはずだ。
「こ、の馬鹿者!」
 気づいた幸村が抜け出そうともがく、その間にもふたりの身体はもつれ合いながら転がり続け、


 ――ゴンッ








「・・・・・・ぅ、」
 目の前に星が飛んだのを見たと思う。
「ぐ、・・・・・・ッ、大事ないか、・・・・・・?」
 上から、声が聞こえた。
 額が痛い。
 生理的な涙で、視界が滲む。
 幾度か瞬いて、漸く焦点を結んだその視界に、
「・・・・・・ゆきむらどの」
 意志の強さを感じさせる眉、通った鼻梁、精悍な顔立ち。
 夕日がその頬を照らしている。
 幸村だ。
 いつもの。
「・・・・・・おのこのそなたも中々に可愛らしかったが、やはりこちらの方がしっくりくるな」
 穏やかな声色がそう言って、上からのしかかられるように抱きしめられる。
 身体じゅうが包まれるような、この腕の中の安心感。
 それを感じながら、は瞼を降ろす。
 よくわかった。
 自分はこの先一生、この男に勝てる気がしない。
 ・・・・・・が、まあそれはそれで、よいのだろう。
 少し笑って、は幸村の背に腕を回した。








 今日最後の陽の光が、西の山の向こうに消えかかるころ。
 鴉から手を離して、佐助はそこに降り立つ。
「・・・・・・まったく」
 なかなか戻らないから心配して来てみれば。
 そこには身を寄せ合って眠る、幸村との姿。
 膝をついて、ふたりの顔を覗きこむ。
 その、まるでこの世には己を害するものなど何一つないとでもいうような、無防備極まりない寝顔。
 二人とも元来気配には敏感で、こうして誰かが近寄れば必ず眼を覚ますのに、今は全く起きる様子がない。
 性転換は相応に、ふたりの身体に負担をかけたのかもしれないと納得して、佐助は息を吐く。
 こんな顔、そうそう誰にも見せられるものではない。
 とりあえず城に運ぼうと考えて、はたと気が付く。
 鴉を使おうと思ったら、空く手が片方しかないから、二人を抱えるのは難しい。
 二人一度に抱えて歩くことは可能だが、それでは起こしてしまいそうだし、できれば鴉を使いたい。
 ならば分身して一人ずつ抱えて飛ぶか。
 もう一度息を吐いて分身の印を組むべく佐助は腕を持ち上げる。
 ちなみにこの場で起こして歩かせるという選択肢は彼の頭の中には存在しない。
 その、持ち上げた腕を。
「・・・・・・ちょっと」
 いつの間にか伸びていた幸村の腕が、がしりと掴んでいた。
 顔を見る限りはどう考えても熟睡中なのに、無駄に強い力だ。一体どんな夢を見ているのか。
 無理やり引き剥がそうとしてもう片方の腕を動かしたら、くんと引かれるような感覚。
 視線を動かせば、の手が、忍び装束の裾を掴んでいる。こちらは幸村ほど力が入っていない、しかし。
 何この状況。
 ためしに両腕を軽く引いてみる、しかしどちらの手も離れる様子はない。
 ふたりが同時に、小さく身じろいだ。
 その口が、それぞれ開く。
「「・・・・・・さすけ」」
 ちょっと。
 なにそれ。
 アンタらふたりして寝てるんだから、お互いの夢でも見てればいいでしょうが。
 それを、何を間違って。
「・・・・・・お馬鹿さん」
 佐助はそう呟いて、小さく笑った。

(fin.)
++




10000打お礼、リクエスト「風花夢主と幸村の性転換」でした。
風花夢主は男になると・・・それはもう男前に違いないというお話でした。
小介もめっろめろです。
ちょっと糖分過多な気もしますが、天然同士が付き合うとたぶんこうなるというお話・・・。

月太様、リクエストどうもありがとうございました!
(いつも見ていただいてありがとうございます!これからもどうぞよろしくお願いいたしますっ)
material by web*citron
20121112 シロ@シロソラ